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Channel: WOMAN’S CAREER –就職ジャーナル
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<前編>ダイキン工業株式会社

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今回の取材先 ダイキン工業株式会社
空調機メーカーとして、世界145カ国に事業展開。現在でも主力事業の空調機において、空気清浄や加湿といった機能を付加した画期的な製品を開発、製造する。さらに化学品、大気汚染の抑制に貢献するフィルター、食料の保存・輸送に寄与する冷凍冷蔵分野なども展開。空調機と冷媒の両方を開発、製造している強みを生かし、環境先進企業としての真のエクセレントカンパニーを目指している。
しらい・あきこ●滋賀製作所 空調生産本部 商品開発グループ勤務。兵庫県出身、33歳。工学研究科 環境・エネルギー工学専攻修了。2008年入社。現在、夫と3歳の子どもとの3人暮らし。

生活環境やトレンドとともに変化するルームエアコン。商品化の前段階となる先行開発、具体的商品化に向けての年度開発、そして現在は希望していた商品企画と着実にキャリアを重ねる白井さんに、これまでの社会人人生を振り返ってもらいました。

大学院で学んだことを生かせる事業内容と社員の雰囲気にひかれ入社

-就職活動時にどのような基準で会社を選びましたか?

大学院の環境・エネルギー工学では、自然通風を利用した快適な環境づくりやそれに伴うエネルギー削減について研究していました。就活を始めるにあたり、これまで学んだことを生かせる仕事に就きたいと考え、エネルギー関連企業やコジェネレーション(電力とともに有用な熱を同時に生産するシステム)にかかわる企業を中心に、企業研究。加えて、社員の人柄や社風、実家に近い勤務地が良いと思い、関西であることなども重視しました。

 

-現在の会社を選んだ理由を教えてください。

セミナーや説明会のほか、役員や若手まで社員の方とお会いした回数が、他社と比べて圧倒的に多かったんです。特に、若手社員の方が自分の仕事について話す時、やりたいことをできている喜びや自信が、表情に出ていたのが印象に残っています。いろいろな方にお会いするうちに、会社の雰囲気が自分に合っていると思い、入社を決意しました。

 

開発という未知の分野に戸惑いつつ、周りのサポートで乗り越えた

-1年目を振り返り、現在につながっていることはありますか?

入社から現在まで、空調生産本部 商品開発グループでルームエアコンの企画や開発、生産にかかわる部署に所属しています。入社から半年間は研修期間で、秋から各部署にて実際の業務がスタートするのですが、私の場合、新しく立ち上がった「トレンド探索プロジェクト」のメンバーに選ばれ本社勤務に。
このプロジェクトは、エアコンや家電に限定せず世の中のトレンドをリサーチし、エアコンの新トレンドやニーズ発見につなげるというもの。メンバーにはベテラン社員も多かったのですが、新入社員ならではの新鮮な視点からの提案も期待できるかもしれない、ということで、商品開発を希望していた私が選ばれたんです。

 

-「トレンド探索プロジェクト」では、どのような役割で活動をしたのでしょうか?

プロジェクトでは、さまざまなトレンドキーワードを掲げ、専門家へのヒアリングや街に出かけリサーチ。例えば、「ペットブーム」について獣医学の先生に話をうかがったり、「おもてなし」とはどういうものかを探るためにラグジュアリーホテルを研究したり。普通に仕事をしていては経験できないことばかりで、本当に面白かったです。何より、もともと入社時から商品企画の仕事を希望していたのですが、その仕事に通じる部分が多く、商品企画をやってみたいという気持ちがいっそう強くなりました。

 

-現場に戻り、希望する商品企画の仕事に就くことはできましたか?

プロジェクトは半年間で解散になり、2年目から現部門でルームエアコンの先行開発を担当しました。エアコンは秋から冬にかけて新シリーズを発売するのですが、先行開発とは、その2年前に行う商品開発のこと。商品企画については「開発現場を経験し、エアコンについての知識や技術を身につけてからやった方がいい」と上司から言われました。その言葉を胸に、経験を積もうとチャレンジ。2年目の先行開発で担当したのが、ストリーマという空気清浄機能を室内機に搭載することを検討する業務。構造や部品配置、コストなどを考え、設計図を作成し試作品を作るため機械設計や電子工学などの知識が必要になります。専門性を生かせると思っていましたが、研究分野が違うので私にはその知識はなく、何もわからない状態でした。それでも、先輩や上司、さらにストリーマの開発担当の方まで、いろいろな方に聞きながら業務を進めていきました。

 

年次とともに大きな仕事を任せてもらえ、成長する機会を与えてくれる

-3年目で大きなプロジェクトにかかわったそうですね。

はい、3年目と4年目は『うるさら7』の先行開発に携わりました。『うるさら7』は業界最高の省エネ性(APF〈通年エネルギー消費効率〉7.0)を目標に掲げた商品で、先行開発も2年かけて行う大プロジェクト。その中で私が担当したのは、室外機の上に付いている加湿機能ユニットを室外機の中に組み込み、室外機を小型化するというもの。商品開発という側面だけでなく、実際に製造するときにどのように部品を組むのが作りやすいかといった面まで考えなければならず、プロジェクトにかかわる他部署の方とコミュニケーションを取りながら仕事を進めました。

 

-4年目で結婚されていますが、仕事と家庭の両立は大変でしたか?

夫も、私の仕事を理解してくれています。忙しくて帰りが遅くなる時は、家に帰ったら食事を用意してくれています。夫は料理や洗濯、掃除など積極的に家事をしてくれるので、早く帰った方が家事をするというルールが2人の中で自然にできていったように思います。

 

白井さんの入社後のキャリアグラフ

これまでご紹介した白井さんの社会人1年目からのキャリア、現在に至るまでのプライベートにおける「心の充実度」の変化を、ご自身にグラフにしていただきました。
02_前編_SUB
1年目は「トレンド探索プロジェクト」のメンバーとして、変化のある日々を過ごす。トレンドを商品プランニングにつなげることに魅力を感じ、商品企画への興味を強める。2年目からエアコンの開発業務を担当し、『うるさら7』に向けた大プロジェクトのメンバーとして、難しい業務をやり遂げた入社5年目で達成感を味わう(詳細は後編)。入社6年目に出産し、1年2カ月後に復帰。時短勤務の時には「やるべき仕事を残して帰ることにモヤモヤした思い」を持ちながら仕事と育児を両立。10年目の現在、希望していた商品企画に就いた。

 

後編では、白井さんの仕事とプライベートの両立について、お話をうかがいます。

→次回へ続く

(後編 8月4日更新予定)

 

取材・文/森下裕美子 撮影/井原完祐


<後編>ダイキン工業株式会社

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今回の取材先 ダイキン工業株式会社
空調機メーカーとして、日本で初めてエアコンを開発。現在でも主力事業の空調機において、空気清浄や加湿といった機能を付加した画期的な製品を開発、製造する。さらに化学品、大気汚染の抑制に貢献するフィルター、食料の保存・輸送に寄与する冷凍冷蔵分野なども展開している。

しらい・あきこ●滋賀製作所 空調生産本部 商品開発グループ勤務。兵庫県出身、33歳。工学研究科 環境・エネルギー工学専攻修了。2008年入社。現在、夫と3歳の子どもとの3人暮らし。

ルームエアコンの商品化への前段階となる先行開発、発売に向けての年度開発を担当してきた白井さん。前編では、着実に商品開発のスキルを身につけ、成長する過程を聞きました。後編では、大きなプロジェクトを任され、最後までやりきったことで大きく成長した日々、産休・育休のブランクを経て、希望の商品企画として働く現在までをうかがいます。

製作所全部門をあげてのメンバーで構成される大プロジェクトに開発として加わる

-これまで経験した中で、ターニングポイントになった仕事とは?

入社5年目に、先行開発からかかわっていた『うるさら7』の年度開発を担当することになりました。年度開発は、先行開発で考えた部品や配置、製造工程について具体的に詰めていく段階。最終的に商品が出来上がるのを見られるので、やりがいや手応えは大きいですが、発売までの期限で求められる開発を形にしなければならないプレッシャーも大きいんです。私の担当は、『うるさら7』の先行開発でかかわった加湿ユニットの小型化。年度開発では、金型(部品製造時に使用する型)を作り複数台のデモ機を製作して機能を確かめるのですが、先行開発段階では加湿性能が出ていたのに、デモ機では出たり出なかったりと、結果にバラつきが出たんです。その原因を明確にしなければ、製品化はできません。そこで部品を組み換えては、また試験をして、それでも結果が出なくてあせるばかり。上司や先輩、また他部署の方にもアドバイスをもらいながら原因を探りました。金型による部品製造の公差(製造時に生じる許容範囲の設定)や、部品組み付け時のバラつきが加湿性能に影響を与えるということがわかり、「試験結果がOKだからOK」ではなく、原理原則に基づいた評価、考察がいかに重要かということを痛感しましたね。
最終的に、多くの仲間の協力をもらい、部品形状を大きく見直すことで解決へとつなげました。

 

-大きな仕事を経験し、どのようなことを学びましたか?

『うるさら7』は開発、生産技術、製造など幅広い部門から約50人ものメンバーがかかわった大きなプロジェクト。大半が男性ですが、女性だからと特別扱いされることも、なめられることもなく、自分の担当を全うすべきだと考えているプロ集団なので働きやすかったです。先行段階では自分で試作機を作り改良するなど自分でできますが、年度開発は他部署の方にお願いしたり意見したりと、人とかかわることの難しさと楽しさを学びました。大切なのは一方的な意見を押し付けるだけでなく、問題解決の具体的改善案を考えるなど動いてもらうために努力すること。そして、多くの方の協力のおかげで難題を乗り越え、1号機が製造ラインから流れてきた時は全員で出迎え、記念写真を撮りました。

 

出産後も退職を考えたことはなく、会社の制度を活用し両立を図る

-出産後に職場復帰する時、利用した制度はありますか?

入社年6年目 の2014年2月に、子どもを出産。『うるさら7』という大きなプロジェクトをやり遂げた後だったし、妊娠がわかった時はうれしかったです。仕事を辞めることはまったく考えなかったですね。子どもが1歳になる翌年2月から保育園に預けて復帰しようと思ったのですが、すぐには保育園が見つからないと聞いていました。保育園探しをサポートしてくれる会社の制度「保活コンシェルジュ(女性活躍推進の取り組みの一環として、育児休暇から職場復帰する際に子どもを保育所へ入れるための活動のサポート)」を利用することもできたのですが、結果的には4月のタイミングで認可保育園に預けることに。職場復帰へのサポート制度があることがとても心強いと感じました。

 

-仕事と育児の両立で、悩みや困ったことはありますか?

復帰後、2年間は1日6時間の時短勤務でした。時短勤務はありがたいのですが、夫よりも早く帰るので、家事をすべて担うことになったのは正直、困りました(笑)。子どものお迎えの時間がせまって、仕事の途中でもやらなければならない仕事を残して帰路につかなければならない日もあり、落ち込んだりしました。出張が必要な場合は、私の代わりに後輩が行くことに。どうしようもないのですが、当時は正直、モヤモヤとした気持ちを抱えていました。職場復帰してからは、初めてのことを任されるのではなく、これまでの経験をベースにできる仕事を担当。かといって、単調でつまらないというものではなく、育児と両立しながらも緩やかに成長できる仕事を与えてもらっていたと思います。
そして、10年目に入社当初から希望していた商品企画を担当することになりました。ルームエアコンの先行段階での商品企画で、やりたかった仕事なので毎日が楽しいです。時短勤務からフルタイム勤務に戻したので、存分に仕事に打ち込むことができます。

 

-10年目で希望の仕事に就けた時、どう思いましたか?

1年目で商品企画を希望した時に、上司から「現場や技術を知ってからの方がいい」と言われましたが、本当にその通りです。技術をわからずに夢のような機能を企画しても非現実的。さらに、プロジェクトを通じて他部署の方とつながりを持つことができたり、コンセプトを考える段階から製造の方に意見を聞いたり、夢のような機能に対してこんなアプローチなら実現できると道筋が見えるようになりました。技術やものづくりの視点を持っていることが、私にとって大きな財産です。

 

時短勤務からフルタイム勤務になり、次の目標に向けて日々の仕事に取り組む

-就活時に、女性活用に関する制度についてチェックしましたか?

産休・育休制度について整っているのか確認しましたが、それ以外は自分が直面した時でないとわからないし、特に調べたりはしていません。ただ、入社してみてあらためて、女性が長く仕事を続けている先輩の女性社員も多い環境だと実感しました。女性活躍推進にかかわる研修にも参加させてもらっています。フォーラムや交流会を通じ、他社の女性管理職やリーダーと交流することができたことは、自分にはプラスです。

 

-今後の目標を教えてください。

商品企画の仕事に就いたばかりなので、あれこれ語れるまでに至っていません。今は、商品企画として、今までにない新しいエアコンを作るのが目標です。将来的には、開発チームの責任者として、一つの製品を作るまでのすべてに携わってみたいです。

 

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年に一度取得できる5連休制度を活用し、山登りへ。北アルプスに登った時は、あまりの絶景に感動した。

 

ある一日のスケジュール

02_後編_SUB時短勤務からフルタイム勤務になったので、出勤までの朝の時間が忙しい。夫は家事を手伝ってくれるので助かるものの、平日は時間的なゆとりがない状態。最近は、泊まりの出張に行くこともあるが、その場合は夫に家事・育児をお任せ。休日は家族3人で出かけることが多い。

 

取材・文/森下裕美子 撮影/井原完祐

<前編>TOTO株式会社

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今回の取材先 TOTO株式会社
トイレ、バス、キッチンなど水回りを中心に、豊かで快適な生活文化を創造してきたTOTO。温水洗浄便座「ウォシュレット®」の開発など、さまざまなイノベーションを起こしてきたものづくり企業。
さくらい・まり●特販本部 特販第二部 特販第三課。愛知県出身。30歳。日本女子大学人間社会学部心理学科卒業。2009年入社。現在、夫と2歳の娘と3人暮らし。写真は、社内の打ち合わせスペースで、商品について販売代理店の担当者と話している様子。

大手設備業者(サブコントラクター。以下、サブコン)を担当し、オフィスや病院、マンションなどへトイレを中心としたTOTOの水回り器具を提案している櫻井さん。建物のオーナーから設計事務所、ゼネコン、サブコンと関係者が多い建設現場で、入社以降どのように営業活動を行ってきたのか、話をうかがいました。

「文化をつくっている会社」との言葉にひかれ、入社を決意

-就職活動時、大切にしていた企業選びの軸はありましたか?

「離職率が低く、福利厚生がしっかりしている会社」「生活する上でなくてはならない企業」という軸で動きました。女子大に進学し、何をするにも男性任せにすることができない環境だったこともあり、自主性やリーダーシップが身についていたんです。そして「性別に関係なく活躍できる」「女性でも長く働ける」そんな会社に入りたいと思うようになりました。就活当初はいわゆる「インフラ系」を中心に見ていたのですが、合同説明会でたまたまTOTOのブースに立ち寄った時、「TOTOはモノを創っているのではなく文化をつくっている」という先輩社員の話にひかれ、興味を抱きました。

 

-その上で、入社を決めたきっかけを教えてください。

選考では1対1の面接が3回あり、学生一人ひとりの話を長い時間じっくり聞いてくれる会社だなと感じました。会社として人を大切にする文化もあるのだなと思ったのが、入社の決め手になりましたね。

 

担当した顧客からの叱咤(しった)に育てられた

-入社1年目で担当した仕事内容を教えてください。

入社後に配属されたのは、サブコンさまの営業窓口です。オフィスや病院、学校などのパブリック案件や、商業施設やマンションなどに、トイレを中心とした水回り器具を提案する仕事でした。
サブコンとは、ゼネコン(ゼネラルコントラクターの略。工事全体のとりまとめを行う建設業者)から主に設備工事を請け負う業者のことです。例えば、大きな商業施設が建つときには、建物のオーナー(施主)、設計事務所、ゼネコンと関連する業者が就き、サブコンは主に電気・衛生・空調などの設備工事を請けます。当社内では、施主、設計事務所、ゼネコン、サブコンとそれぞれ営業担当が分かれていますが、私は販売代理店さまを通じて、サブコンさまに対し、新しい物件で当社の商品を取り入れてもらえるように営業活動を行っています。
業界内の専門用語や商品知識の理解がとても大切な仕事で、長く担当すればするほどお客さまとの関係構築もスムーズにいくことから、現在もずっと同じ仕事内容を担当しています。

 

-入社後にぶつかった壁はありましたか?

私がサブコンさまを担当する初めての女性営業だったこともあり、お客さまはもちろん、上司や先輩も、私のことをすごく慎重に扱っていました。1年目は10月から自分の担当顧客を持つのですが、「女性一人で工事現場に行かせられない」と言われたことも。優しさからくる配慮だったのですが、最初はそれが悔しくて、「早く認められる存在になりたい」と思ったのを覚えています。
担当を持ってからも、業界知識や商品知識の乏しさから、対応が後手に回ってばかり。当時のお客さまには「レスポンスが遅い」「納期をきっちり守ってほしい」などたくさんお叱りの言葉を頂きました。当時は落ち込んでばかりいましたが、直接苦言を呈してくれたということは、「櫻井さんになら、言っても大丈夫」「これをバネに成長してくれる」と期待していただいた証し。今振り返ると、愛情深いお客さまに恵まれていたと思いますね。

 

大型病院の新設案件に携わり、社内外多くの関係者と連携する面白さを実感

-自分なりの営業スタイルができた、と感じられたのはいつごろからですか?

初めて一人で受注できた1年目の終わりですね。営業の動き方が少しわかったという実感がありました。
衛生を担うサブコンさまは、トイレやバス器具などの器具の取り付けや配管設置工事により利益を得ています。取り付ける商品の仕入れに関しては、当社と連携している販売代理店さまと価格交渉を実施します。営業の私は、販売代理店さまと連携して採用されるための販売戦略を練ります。交渉の中で「お施主さまや設計事務所さまがそう考えるのなら」と前向きに検討していただけるように話をしていきます。入社し1年たってようやく、“さまざまな情報をキャッチして早く動く”営業の面白さに気づけたかなと思います。

 

-営業として、ターニングポイントとなった仕事はありましたか?

入社3年目で携わった大型病院で、当社の器具が採用された案件です。担当したのは病床数が約780床の総合病院でした。「新しく病院を新設する」という情報が社内に入ってくるとすぐに、担当営業の私を含め関係者が一気に動き始めました。病院にとって、院内感染への対策をどう取るかが非常に重要で、衛生管理に当社の製品がいかに貢献できるかが採用のキーポイントでした。病院側から、看護師さんなどスタッフ用に「水の飛び散りを防止して感染を防ぐ、深めの手洗いシンクが欲しい」といったニーズを頂き、実際の開発まで進めたことも。大規模案件だけにかかわる関係者が多く、他部署との連携の大切さを実感しました。

 

櫻井さんの入社後のキャリアグラフ

これまでご紹介した櫻井さんの社会人1年目からのキャリア、現在に至るまでのプライベートにおける「心の充実度」の変化を、ご自身にグラフにしていただきました。
前_キャリアグラフ画像03
社会人4年目には、成長のきっかけになる失敗も。トイレの陶器の色が1つ廃番になったことを業者さまへ伝えられておらず、「陶器の色に合わせて内装をデザインしていたのに」と設計事務所さまからお叱りを受けた。「正直、廃番になった色の代わりに既存の色を使っても、ほとんど変わらないから問題ないだろう、と思ってしまっていました。微妙な色みの違いでデザインを設計しているプロの業者さまたちのお叱りに、私の気の緩みがあったとはっとしました」。

 

入社5年目に結婚、6年目に出産を経て、時短勤務で復帰した櫻井さん。後編では、仕事観にどんな変化があったのかを話していただきます。

→次回へ続く

(後編 8月18日更新予定)

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

<後編>TOTO株式会社

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今回の取材先 TOTO株式会社
トイレ、バス、キッチンなど水回りを中心に、豊かで快適な生活文化を創造してきたTOTO。温水洗浄便座「ウォシュレット®」の開発など、さまざまなイノベーションを起こしてきたものづくり企業。
さくらい・まり●特販本部 特販第二部 特販第三課。愛知県出身。30歳。日本女子大学人間社会学部心理学科卒業。2009年入社。現在、夫と2歳の娘と3人暮らし。

大手設備業者(サブコン)を担当し、オフィスや病院、マンションなどへトイレを中心としたTOTOの水回り器具を提案している櫻井さん。結婚、出産を経て変わった仕事観や、見えてきた課題への取り組みなどをうかがいました。

代理の営業担当によるサポートに救われた

-結婚、出産を経て、職場復帰するに当たり、不安はありましたか?

入社5年目で結婚、6年目で出産し、産休・育休で1年半職場を離れました。営業職として時短勤務復帰する社員は当時ほとんどいなかったので、「お客さまが必要とするタイミングで対応できなくなるのでは」という不安が一番大きかったですね。でも、上司の配慮で、同部署内に私と同じお客さまを担当する代理の営業担当が就くことに。その代理担当の同僚社員と2人体勢でお客さま対応ができるようになり、「対応が遅れたら迷惑をかけてしまう」という後ろめたさが解消されました。そのサポート体制はとても心強かったです。

 

-復帰後に、働き方の変化はありましたか?

時間の制約ができたことで、(出産前より)判断力や行動力がつきました。メール1通送る際も、以前は「誤字・脱字がないか」「文章としておかしいところはないか」など丁寧に読み直して送っていたのですが、時短勤務でそれをやっているとほかの仕事が前に進みません。「伝えたい要件が伝わればいい」と、細かいところに目をつぶれるようになり、業務スピードはかなり上がったと思います。わからないことがあれば、すぐに聞きに行くなどその場で解決するようにして、翌日に仕事を持ち越すことも減りましたね。翌日になれば「娘が体調を崩して会社に来られない」という可能性が常にあるので、「明日確認します」「明日伝えます」など、なんとなく先延ばしにすることがなくなりました。

 

より働きやすい会社になるようにと「懸賞論文制度」に参加

-ワーキングマザーとして、当事者になったからこそ取り組んだことはありますか?

営業職で復帰している人はまだまだ少ないので、今後、後に続く社員がより働きやすくなるように、環境を整えられればと思っています。そのための取り組みとして、復帰半年後に、同期と2人で社内の「懸賞論文制度」に応募し、「40歳 2児のママでも管理職になるためには?」をテーマに論文を作成しました。「懸賞論文制度」というのは、年に1回開催される社内制度で、何らかのテーマに対する問題点や改善点を、社長以下経営陣に直接提言できるというものです。論文テーマの発案は、私と同じタイミングで妊娠、出産した同期から持ちかけられました。1年半の産休・育休を取得した私に対し、彼女は半年で営業職として復帰しました。しかし、時短勤務を取っていた復帰後の1年間、子育てとの両立への懸念と周囲の配慮が重なり合い、担当顧客を持つことができなかったそうです。「営業としてのキャリアが長いのに、担当を持てないのは会社にとっても大きなロスではないか」と疑問に感じるようになり、今後の女性登用に関する社内の問題点をまとめようと、論文作成に取り組み始めました。

 

-論文のためにどのような行動をして、どんな成果がありましたか?

まずは社内のワーキングマザー一人ひとりに話を聞き、当社での働きやすさ・働きにくさ、両立のために工夫していることなどをヒアリングしていきました。そこで出た先輩ママたちの意見やアドバイスをまとめ、具体的にどのような制度や環境が整えば、長く働ける会社となるのか、改善案を作成しました。例えば、その案の一つに、「異動の辞令を10月に出してほしい」という内容を入れました。当社の総合職は全国転勤の可能性がありますが、子どもができると、保育園など預け先を確保できるかが非常に重要な問題となります。今まで異動の辞令は2月に出ていたのですが、それでは保育園への申し込みはすでに締め切られていて、転勤後にすぐ働き始めることができません。そこで、10月に辞令のタイミングを変え、預け先の確保ができるようにと提言しました。ほかにも、転勤に伴い両親の帯同をサポートする「両親の引っ越し代や住宅補助手当」の提案や、子育てとの両立の難しさを多くの社員に知ってもらうために、「時短勤務後にママ社員に同行する」という施策も盛り込みました。論文は入賞となり、社長から「提案内容を実現できるようにしっかり取り組んでいく」という言葉も直接頂きました。
論文作成の過程で、先輩ママたちに意見を聞いた際は「社内でワーキングマザー同士が意見交換できる場があれば心強いだろうな」と感じることが多くありました。実際に、産休・育休に入る社員も増えているので、そういったコミュニケーションの場づくりもできればと思っています。

 

-今後、手がけたいことは何ですか?

サブコンさまの担当営業としてキャリアを重ねてきたので、その経験を生かし、お施主さまや設計事務所さま、ゼネコンさまの担当営業にチャレンジしたいと思っています。建築業界において、衛生工事に一番詳しいサブコンさまと長く関係を築いてきたからこそ、ゼネコンさまや設計事務所さまなどとの工程においても「こういうコミュニケーションができたら、案件はもっとスムーズに進むのではないか」と思うことがあります。さまざまなメーカーがある中で、当社を選んでいただくにはどうすればいいかを考え、その結果として受注に至ったときの達成感がとても好きなので、営業として、新しい領域から見える景色も味わってみたいですね。

 

2016年10月、保育園のハロウィーンイベントにて。お友達と仮装パーティーを楽しみました。

 

ある一日のスケジュール

後_スケジュール03大学生の時、両親が東京に引っ越したこともあり、現在も実家の近くに住んでいる。保育園のお迎えをお願いしたり、娘が熱を出したときに見てもらったりと、助けられることが多い。子育てと仕事の両立において、親の存在の大きさを痛感している。夫は社内同期で同職種。仕事で一緒になることも多く仕事への理解も深い。

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

<前編>株式会社AOKI

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今回の取材先 株式会社AOKI
AOKI・ORIHICA(オリヒカ)というメインブランドを掲げ、メンズ&レディーススーツを中心に、フォーマル、カジュアルまで幅広い商品を展開。「誰もが日替わりでスーツを着られるようにしたい」という創業時の思いを継承し、お客さまへファッションのトータルコーディネートを提案している。
すがま・のぶこ●営業本部 レディースエリアマネージャー。東京都出身。38歳。経済学部経済学科卒業。2002年入社。写真は、担当店舗・銀座本店のレディース商品フロアで接客をしている様子。

レディース商品に特化したエリアマネージャーとして、担当する21店舗を回り、売り場改善や接客改善などを行っている須釜さん。新人時代から、店長を目指すきっかけとなった新店オープン時のエピソードをうかがいました。

社員一人ひとりを大切にする風土があると感じた

-就職活動時、大切にしていた企業選びの軸はありましたか?

人を大切にする会社で働きたい、という思いがありました。洋服に興味がありAOKIを受けた際、数カ月前の会社説明会で会った社員の方に「お久しぶりですね。お元気でいらっしゃいましたか」と声をかけられ、驚きました。一人ひとりのことを覚えてくれていて、人を大事にする風土を感じました。
選考が始まると、実際に店舗に足を運んで「就活中なので教えてください」と仕事内容について聞いて回っていました。忙しい中、店員さんは皆嫌な顔一つせず、とても丁寧に対応してくださり、温かい会社だなと実感。自分が働く姿を想像できたのも、入社の決め手の一つとなりましたね。

 

「3年は頑張る」という意地しかなかった

-入社1年目で担当した仕事内容を教えてください。

入社後は和光光が丘店(埼玉県和光市)に配属され、販売を担当。そこで5年半、接客経験を積みました。メンズスーツをはじめ、服や小物に関して知識がまったくありませんでしたが、細部にこだわる奥深さがとても面白かったですね。当社には、社内の認定資格「スタイリスト制度」があり、メンズ服の歴史や、商品のディテール(細部)の呼び方、色柄などについて学ぶ機会があります。接客における技術習得の研修なども充実していて、身長が低い方に合うスーツの着こなしなど、体形に応じた商品の選び方もここで学びました。

 

-入社後にぶつかった壁はありましたか?

正直、1年目は、毎日のように「辞めたい」と思っていました(笑)。お客さまのニーズを引き出せないまま、帰られてしまうことも多く「どうして何も買わずにお帰りになったの?」と先輩に聞かれても何も答えられず、悔しい思いをしてばかりでした。「欲しいものがなかった」場合でも、「値段が合わなかった(高かった)」という理由なのか、「欲しいデザインの商品がなかった」という理由かによって、次回来店されたときの対応は異なります。あるいは、接客中に「好きなデザインがない」とヒアリングできていれば、ストック(陳列されていない商品在庫)の中から求めるデザインに近いものをお出しすることもできます。わざわざお店に足を運んでくださったお客さまなのだから、何かしら満足いただいてからお帰りいただきたい、という先輩方の意識の高さについていくのに必死で自信を失ってばかり。「社会人として、とにかく3年は続けて頑張ろう」という意地だけでくらいついていました。ただ、お店に立って1年後には、冠婚葬祭で着用する礼服を、スーツからシューズ、ベルト、シャツ、ネクタイやチーフまでトータルで提案しご購入いただけるようになるなど、少しずつ成長を実感できるようになりました。

 

応援への感謝の気持ちをメッセージカードに託した

-入社2年目以降の働き方の変化について教えてください。

2年目に入ると、担当商品の売り上げ目標を意識しながら、スタイリストとしてお客さま一人ひとりの体形や雰囲気に合った商品をどう提案できるか、考えられる余裕が出てきました。4年目には副店長を任され、店長が目指すお店のあり方に近づけるために、パートナーさん(パート・アルバイトスタッフ)とどんなコミュニケーションを取るべきかなど、現場サポートに徹して動いていました。

 

-ターニングポイントとなった仕事はありましたか?

入社6年目に、竹ノ塚総本店(東京足立区)の新店オープンが決まり、副店長として配属されたことです。開店後の1週間は、開店セールにつきお客さまが殺到します。レジに一日中、長蛇の列ができるほど混雑するため、オープン時は、ほかの店舗や本社から社員が応援に駆けつけてくれるんです。総勢50人ほどの社員がヘルプに来てくれるため、皆が店舗近隣に泊まるホテルの手配やホテルに移動するタクシーの手配、お弁当の注文など裏方の業務もこなしました。
竹ノ塚総本店に配属されたメンバーであれば、「自分たちのお店を作っていこう」と強い気持ちを持っているので、どんなに忙しくても頑張れます。でもほかの店舗や本社スタッフなど、通常業務のある方は「自分のお店のこともやりたい」「進めたい仕事がある」という気持ちを持っているかもしれません。そこで、応援に駆けつけていただいたことに感謝の気持ちを伝えようと、社員一人ひとりが泊まるホテルの部屋にメッセージカードを置くサプライズを用意しました。自分が以前、新店(新潟店)のヘルプに行った際、ほっと一息つける空間がホテルの部屋だったことを思い出し、「この手紙を読んで、明日も頑張ろう」と思っていただけたらいいなと思ったんです。
そのサプライズは社内でも話題になり、いまだに「あの時お手紙を頂いて感激しました」という言葉を頂くこともあります。いろんな立場の方の気持ちを想像しながら動くことの大切さを、周りの反響からあらためて実感しました。

 

-副店長経験が、その後のキャリアにどう影響しましたか?

副店長として店長を身近に見て、店長の思い一つでお店は変わると実感しました。当時の竹ノ塚総本店店長は「来週はこの商品を提案しよう」「こんなお客さまにはこう対応しよう」などアドバイスが明確で、作りたいお店のイメージがぶれない方で、その仕事ぶりに憧れましたね。
それまで「店長になりたい」という明確な意思を持ったことがなかったのですが、スタッフのマネジメントや売り上げを上げる過程にものめり込み、店長のライセンス資格の取得に挑戦しました。社内のライセンス取得のためには、パートナーの社員採用面接のロールプレーイングや店長として素質を見る試験、売り上げの要因分析と次週の売り上げ目標に対する行動内容のプレゼンテーションなど、さまざまな試験に合格しなくてはいけません。オープン時期の年に副店長をやりながら資格の勉強をするのは時間的にも大変でしたが、目指したい方向ややるべきことが明確になり、前向きに仕事に取り組めるようになりました。

 

須釜さんの入社後のキャリアグラフ

これまでご紹介した須釜さんの社会人1年目からのキャリア、現在に至るまでのプライベートにおける「心の充実度」の変化を、ご自身にグラフにしていただきました。

一番長く働いたのが、最初に配属された和光光が丘店。教育担当だった入社5年目の先輩は、社内認定制度の勉強のために遅くまで残る須釜さんに付き合ってくれ、厳しくも愛情ある指導に恵まれた。異動が決まった時は、離れるのが嫌で落ち込んだが、新店を経験できたことがその後のキャリアの糧になった。

 

副店長として新店オープンを経験し、店長職を目指したいと思うようになった須釜さん。後編では、店長になってからのエピソードやこれから挑戦したいことについて話をうかがいます。

→次回へ続く

(後編 9月1日更新予定)

 

取材・文/田中瑠子 撮影/臼田尚史

<後編>株式会社AOKI

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今回の取材先 株式会社AOKI
AOKI・ORIHICA(オリヒカ)というメインブランドを掲げ、メンズ&レディーススーツを中心に、フォーマル、カジュアルまで幅広い商品を展開。「誰もが日替わりでスーツを着られるようにしたい」という創業時の思いを継承し、お客さまへファッションのトータルコーディネートを提案している。
すがま・のぶこ●営業本部 レディースエリアマネージャー。東京都出身。38歳。経済学部経済学科卒業。2002年入社。

レディース商品に特化したエリアマネージャーとして、担当する21店舗を回り、売り場改善や接客改善などを行っている須釜さん。前編では店長を目指すきっかけとなった副店長時代のエピソードをうかがいました。後編では、店長としての苦労ややりがいについて、話をうかがいます。

「シューズを選ぶならAOKI」という信頼をスタッフ皆で作っていった

-実際に店長を経験して、どんなことが大変でしたか?

入社8年目に店長の社内ライセンス資格を取ってすぐ、新店オープンとなった秋葉原店のフロア店長を任されました。秋葉原店は当時、6階建ての都心最大級の店舗で、フロアごとに店長を置いていました。私が担当したのはビジネス雑貨のフロアでした。
まず感じたのは、「店長としてメンバーの人生を預かっている」という責任の大きさです。秋葉原店には社員・パート、アルバイト契約のパートナーさんが48人いて、皆が生活のためにさまざまな働き方をしています。採用時の契約によって週何日、どれくらい働くか個人によって異なりますので、その内容を把握しながら、個人の能力が生かされるような業務の任せ方を考えなくてはいけません。一方、人件費を含めた予算管理をしている店長としては、閑散期・繁忙期の時期に応じて、動員したいスタッフ数のコントロールも考える必要があります。お店にとっても、スタッフ一人ひとりにとってもWin-Winとなる働き方の模索に、マネジメントの大変さを痛感しました。

 

-店長として、やり遂げたと実感できたことは何ですか?

秋葉原店では、シューズやベルト、バッグ、ネクタイなどの小物のみを扱うフロア店長という難しいポジションを任されましたが、売り方のスタイルを確立し、オープンした最初の年に全店でシューズ売り上げの一番を取ることができました。
店頭では、シューズを見に来るお客さまに対し、そこからトータルのファッションを提案できるような接客を全スタッフで心がけました。シューズを長く使っていただくためのケア用品から、シューズの色合いに合わせたベルトの提案なども進め、接客マニュアルを作成。シューズを多く売る競合の百貨店さんを頻繁に訪れ、そこでスタッフがどんな提案をしているのか、どんなフレーズを口にしているのかも勉強させていただきました。シューズを見に来たお客さまにスーツを提案してお買い上げいただいたこともあり、「AOKIに靴を買いに行くと、ファッションをトータルにアドバイスしてくれる」という信頼を広げ、リピートのお客さまを増やすこともできました。
秋葉原店を4年担当したあとは、新宿西口本店のレディース商品の単独フロアを立ち上げ、今の仕事につながっていきます。

 

販売の方法を見直し改良を提案して、全店の利益率アップにつなげた

-現在のお仕事内容と、その難しさ、面白さについて教えてください。

現在は、レディース商品部門に特化したエリアマネージャーとして、都心の21店舗を横断的に見ています。通常、エリアマネージャーは特定の地域の複数店舗を丸ごと見るため、「売り上げを上げるために、メンズの小物フロアを縮小して、礼服のフロアを拡大しましょう」「スタッフの教育体制をこう変えましょう」といったトータルな提案ができます。ただ、私の場合、レディース商品のみの担当なので、詳細な商品分析、細かな売り方の指示がより重要になってきます。週3日は、1日2~3店舗ペースでお店を回るほか、2カ月に1回は、各店舗のレディース商品の担当者を集め、強化すべき商品や店舗での成功した取り組みを共有し、店舗内でレディース商品が存在感を発揮できるような施策に取り組んでいます。
例えば、AOKIは、全店舗全商品で割引セール内容が一律でした。しかし、他社の売り方を研究し、新しい売り方の提案、実践をしました。結果的に利益率を上げることができました。

 

-今後、チャレンジしたいことはありますか?

女性のお客さまに対する接客方法はまだまだ改善すべきことが多く、拡大の余地があるなと感じています。近い将来、レディース商品のみに特化した専門店を出すことが私の目標。また、全国560店舗すべてにレディースフロアができ、売り上げ面でも頼りにされるような領域にしていきたい。そのために、各店舗の担当者と売り方の模索や女性の働き甲斐の模索を続けていきたいですね。

 

現場から業務改善のアイデアをどんどん出せる制度がある

-店舗スタッフからエリアマネージャーへとキャリアアップしてきて感じる、AOKIの働きやすさは何だと思いますか?

「店舗をこうしていきたい」という意見を言いやすい風土、聞いてくれる上司が常にいるところでしょうか。
社内制度としても「ベストプラクティス制度」というものがあり、店舗での改善提案を誰でも応募できるシステムが確立されています。ネット上のアンケート調査のようなフォーマットに、「こんな商品が欲しい」「こんなサービスがあるといい」「社内の制度をこう変えてほしい」など意見を書き込むことができ、それに対して各部門の担当者からフィードバックがくるようになっています。
例えば、「男性がスーツを試着する際、試着室にさっと脱ぎ履きができるビジネスシューズがあるといいのでは」という現場の意見が採用され、かかと部分がカットされた試着専用シューズが実際に開発されました。ほかにも、お客さまのオーダーメード品に対する要望をタブレットに入力できるシステムの開発も、現場のアイデアを起点に進みました。アイデアが採用されると、「ベストプラクティス賞」に選ばれ、社長からのメッセージとインセンティブがもらえるようになっています。1週間に400~500件ほど意見が寄せられるので、緊急度の高いアイデア以外は実現が難しいとも言えますが、「こういう意見がある」という事実がいったんすべて受け入れられる風土は、意見を言いやすい店舗の雰囲気にもつながっていると思います。

 

6年ぶりに再開できたスノーボード。体が感覚を覚えていたので楽しく滑れた!

 

ある一日のスケジュール

担当している都内21店舗に顔を出すのは、週に2~3日。回れる日は、1日3店舗ほど立ち寄るが「1店舗につき3時間ほどは滞在したいので、時間が足りない」と話す。店舗を回らない日は、本店でレディース商品に関する施策の打ち合わせなどが入っている。

 

取材・文/田中瑠子 撮影/臼田尚史

<前編>スターバックス コーヒー ジャパン 株式会社

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今回の取材先 スターバックス コーヒー ジャパン 株式会社
「最高のコーヒー」を提供することはもちろん、日常に潤いをもたらす “スターバックス体験”(感動経験)という付加価値を追求してきたスターバックス。企業理念である、「人々の心を豊かで活力あるものにするために-ひとりのお客様、一杯のコーヒー、そしてひとつのコミュニティから」を、社員、アルバイト含むパートナー一人ひとりが体現している。
※スターバックスは働く従業員のことを、パートナーと呼んでいます。
ほしの・ゆりこ●営業本部 ディストリクトマネージャー。神奈川県出身。40歳。文教大学国際学部国際文化学科卒業。1999年入社。夫と7歳の息子、4歳の娘と4人暮らし。

東東京エリアの9店舗を統括するディストリクトマネージャー(エリアマネージャー)を任されている星野さん。就活当時、まだまだ認知度の低かったスターバックスに入社した理由や、店長としての経験について話をうかがいました。

「こんな人たちと働きたい」と入社を決意

-就職活動時、大切にしていた企業選びの軸はありましたか?

大事にしていたポイントは、「その会社で成長している自分の姿をイメージできるのか」でした。若いうちから裁量を与えられる会社で働きたいと考え、業界問わず幅広く会社説明会に足を運んでいました。
スターバックスが日本1号店を銀座にオープンしたのは1996年。就職活動を始めた1998年当時は全国に30店舗ほどしかなく、まだまだ認知度の低いコーヒーチェーンでした。事業や仕事内容についてよく知らないまま、幅広く業界を知る一環として会社説明会に行ったのがスターバックスとの出会いでした。会社説明会で前に立って説明していたのが新卒1期生の20代若手社員で、これからの事業拡大に向けて、年代や性別に関係なく、みんなで成長していこうという勢いを感じたのを覚えています。プレゼンテーションの最後に、「皆さん後ろを見てください」と言われ振り返ると、緑のエプロンを着け、コーヒーやスコーンを用意した社員がずらり。広報部やマーケティング部、営業本部など全部署のパートナーの皆さんがいたのです。「自分が興味のある部門や社員の方に、自由に話を聞きに行ってください」と言われ、学生一人ひとりの意思を尊重した対応に、このような人たちと共に働きたいと強く思いました。飲食やサービスに関する知識はまったくありませんでしたが、ここだ! という思いはその時固まりましたね。

 

自らが決めた目標に向かうプロセスで、人は成長すると実感

-入社後にぶつかった壁はありましたか?

入社後は、水道橋西通り店で接客を担当し、日々目の前の業務に追われていました。いつかは、結婚や出産といったライフイベントを迎えたいと考えていたため、「それまでの20代は、自分の時間を自分のために使って働こう」という思いが強くありました。20代は夜遅くまで働くことも多く、仕事とプライベートとのバランスをうまく取れなかったことが、今思えば、壁だったのかなと思います。
 

-ターニングポイントとなった仕事は何ですか?

入社3年目、茅場町店ストアマネージャー(店長)での経験です。
入社後、スターバックスは急速に店舗数を拡大し、2年目には神田駅前店で店長を任されました。求められる成長スピードは、想像以上のもので、1年ほど店長経験を積んだあと、新店オープンの店長を任されたのが茅場町店でした。
アルバイトを含め25名の店舗パートナーの採用から育成までを担当し、1年たったころ、パートナーの力をどこまで引き出せるのか、これまでにない大きなチャレンジがしたいと考えました。そこで考えたのが、ホワイトデーに向けた「クッキー販売キャンペーン」です。みんなで力を合わせてクッキーをたくさん販売することで、より多くのスターバックスエクスペリエンス(感動経験)をお客さまに提供する、という施策を企画しました。
当時、クッキーは1日10~15枚販売できればいいという状況の中、茅場町店では「3日間で1,000枚販売する」という大きな目標を設定しました。お客さま一人ひとりに合わせた会話を通じて、クッキーの良さをお薦めする、という接客を徹底しました。「自分たちで決めた目標に向けて自発的に動く」ことでどのような化学反応が起こるのか、壮大な実験のような施策でしたが、3日間終えた時には1,000枚が本当に完売したのです。パートナー一人ひとりが、「どうしたらお客さまが喜んでクッキーを購入し、より多くのスターバックスエクスペリエンスを実現できるだろうか」と考えながらお声がけを工夫する様子を見て、背伸びした目標に向かうことで、人はどんどん成長することができるのだと実感しました。この成果は1,000枚の発注を許可してくれたサポートセンター(本社)のバックアップや、近隣店舗からの接客応援があってこその達成でもあり、みんなで目標に向かって共に成長することの面白さを学ぶことができました。

 

29歳のとき、新卒入社社員で初の女性ディストリクトマネージャーに

-店長を経験したあと、今に至るキャリアについて教えてください。

29歳の時、新卒入社の中では女性初となるディストリクトマネージャーになりました。最初は総武・習志野地区にある複数店舗のマネジメントを担当。神田地区、日比谷虎ノ門地区の担当を経て、現在は、お台場豊洲地区の9店舗を担当すディストリクトマネージャーをしています。

 

ディストリクトマネージャーの最大の役割は、「お店とパートナーを成長させること」にあります。ビジネスを成長させることはもちろん、担当店舗の接客や、組織・人材開発を立案し、パートナーにアドバイスをするなど、コンサルテーションも行っていきます。適切な人材配置がなされているかをチェックするのもディストリクトマネージャーの役割。店舗によって客層が変わり、求められる接客スタイルも異なるため「この店舗のパートナーは、あの店舗の方がより力を発揮できるだろう」と適材適所を実現するための人事異動案を提案することもあります。
ディストリクトマネージャーになった当初は、成果を出さなくてはならないというプレッシャーを感じ、担当店舗の店長に、私が良いと思うやり方を押し付けてしまうことが多々ありました。そのため、店長との間にミスコミュニケーションが生まれ、思うように成果がでないこともありました。また、30歳で結婚、33歳、37歳で長男、長女の産休育休を取得し、仕事との両立にも悩みました。
肩の力が抜け、店長との会話を大事にできるようになったのは、最近のことかもしれません。

 

星野さんの入社後のキャリアグラフ

これまでご紹介した星野さんの社会人1年目からのキャリア、現在に至るまでのプライベートにおける「心の充実度」の変化を、ご自身にグラフにしていただきました。

フルパワーで働いていた20代から、ライフイベントの変化、責任あるポジションへの昇格などで30代は悩み多き時期に突入。40代を迎え、子育ても落ち着いていくこれから、新たな自分の成長が待っていると思うとわくわくしています。

 

ディストリクトマネージャーとなりプレッシャーで落ち込むことが多かったという星野さん。後編では、2度の産休・育休を経て悩みながらやってきた仕事とプライベートとの両立、変わった仕事観について話をうかがいます。

→次回へ続く

(後編 9月15日更新予定)

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

<後編>スターバックス コーヒー ジャパン株式会社

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今回の取材先 スターバックス コーヒー ジャパン 株式会社
「最高のコーヒーを提供する」ことはもちろん、日常に潤いをもたらす “スターバックス体験”(感動経験)という付加価値を追求してきたスターバックス。企業理念である、「人々の心を豊かで活力あるものにするために-ひとりのお客様、一杯のコーヒー、そしてひとつのコミュニティから」を、社員、アルバイト含むパートナー一人ひとりが体現している。
※スターバックスは働く従業員のことを、パートナーと呼んでいます。
ほしの・ゆりこ●営業本部 ディストリクトマネージャー。神奈川県出身。40歳。文教大学国際学部国際文化学科卒業。1999年入社。夫と7歳の息子、4歳の娘と4人暮らし。写真は、店舗で社員と打ち合わせをしている様子。

東東京エリアの9店舗を統括するディストリクトマネージャーを任されている星野さん。後編では、責任あるポジションについてからの葛藤や、育児との両立への苦悩、それをどう乗り越えてきたかについて話をうかがいました。

「仕事は好き?」という上司の問いかけで自分の思いに気づいた

-ディストリクトマネージャーになってからどんな苦労がありましたか?

ディストリクトマネージャーとは、有効な情報やアドバイスを“与える”べき存在だという思いが強くありました。自分が店長だった時に、ディストリクトマネージャーだった先輩から接客方法や、新商品をお薦めするキャンペーンなどの施策において、常に的確なアドバイスをもらっていたという思いもあり、同じようにならなくてはと気負いすぎていたんです。
初めてディストリクトマネージャーになった29歳から30代前半は、店長が何をやりたいのかという思いを聞く前から、アドバイスをしようと前のめりで、うまくコミュニケーションが取れていませんでした。
そのような状況の中、32歳で長男を出産し、1年の産休・育休を経たため、復帰したあともずっともやもやとしていました。「もし今転勤になったら仕事を続けられないかもしれない」と不安のあまり辞めた方がいいのではないかと考えたこともありました。

 

-何がきっかけで、仕事への姿勢が変わりましたか?

職場復帰後、仕事と子育ての両立について悩んでいた時、上司から「この仕事は好き?」と聞かれたことがありました。その時、迷いなく「好きです」と答えた自分に、はっとしました。好きなことができているなら辞める理由がないのに、できない理由ばかりを探していた自分に気づいたのです。
全国転勤に対する不安も、決まる前に悩んでいても仕方がありません。今思えば、スターバックスに入社した当初、今のような店舗拡大が予測できていたわけではなく、スターバックスのパートナーに出会い「この人たちと働きたい」という思いだけで入社を決めました。「こういう店頭キャンペーンをやったらいいのではないか」「こういう制度があれば働きやすくなるのではないか」など、自発的に考え、行動することで、一人ひとりのパートナーだけでなく、スターバックスも成長してきたのです。上司からのひと言で、「やってみてできなかったら、より深く考え、意見を出して変えていけば良いのだ」と思うことができ、ふっと心が軽くなりました。
ディストリクトマネージャーとしても、店舗やパートナーの声を大事にし、店長が実現したいことを尊重すること、一緒にお店を造っていくという姿勢が大事だと思えるようになりました。

 

「大丈夫だよ」と背中を押せる存在でありたい

-現在の仕事内容の面白さ、やりがいを教えてください。

今は、お台場豊洲地区の9店舗を担当しています。店舗を盛り上げるために、店長がお客さまに直接新商品の試飲を行うプロモーション活動や、高校生成長支援のための店舗インターンシップ実施など、さまざまな施策を企画、実施しています。高校生のインターンシップでは、アルバイトの大学生パートナーが、高校生に向けてスターバックスの理念や自らの想いを語る場面にも多く出合い、パートナー自身の成長を頼もしく感じています。ほかにも、シフトスーパーバイザー(店舗の時間帯責任者)を目指したいというアルバイト学生と面談し、店舗への想いの強さに感動することも多くあります。現在、アルバイトを含めて、9店舗約300名のパートナーを担当していますが、一人ひとりの成長を目の当たりにできることが、今の一番の喜びであり、やりがいです。

 

-今後、実現したいことはありますか?

これまでもそうですが、「目の前の仕事をきちんとやる」という当たり前のことをコツコツ積み重ねていきたいですね。
結婚、出産を経て復帰する女性も増えており、後輩から「今後の働き方について相談したい」「話を聞いてください」と声をかけられることも多くなってきました。相談をもらうパートナーそれぞれが、まだ直面していないことに先回りをして不安を持っている様子に、かつての自分を見ているような気持ちになりました。「出産」とひと言で言っても、体調の変化は人によってまったく違いますし、子どもの性格もまったく違う。つまり、経験してみなければわからないことだらけなのです。だからこそ私にできることは、「その時になってできなかったら一緒に考えよう」「大丈夫だよ」と言って、寄り添ってあげること。仕事と子育ての両立ができているなんて、一度も思ったことがないので、偉そうなことは言えません(笑)。「なるようになるよ」と背中を押して、誰かの心を軽くすることができたら、それが私の役割かなと思っています。

 

毎年、同じ桜の木の下で仲良しの友人家族と写真を撮り続け、今年で4年目。
子どもたちが成人するまで、ずっと撮り続けていきたいと思っている。

 

ある一日のスケジュール

新商品が出るタイミングでは、資材がそろっているか、プロモーション(パートナーの知識確認、陳列位置確認など)に不備がないかを確認するため、1日で全9店舗を回る。また、保育園の迎えは夫婦で分担しているため、毎週土曜日に必ず、翌週のスケジュール共有をする。

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子


<前編>ニチレイロジグループ

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今回の取材先 株式会社ニチレイロジグループ本社
国内外に約100カ所以上の拠点、約180万トンもの冷蔵保管能力を持つ。2005年に株式会社ニチレイにより分社化。低温輸配送・低温保管・国際物流などを手がける食品物流のリーディングカンパニーの地位を確立している。
せきね・まゆこ●経営企画部 兼 女性活躍推進室マネジャー。神奈川県出身。35歳。早稲田大学教育学部社会科卒業。2004年入社。現在、2017年9月に結婚した夫と2人暮らし。写真は、女性活躍推進室メンバーとの打ち合わせ風景。

物流センターでの現場経験を経て、現在は経営企画部と女性活躍推進室のマネージャーを務める関根さん。物流事業に興味を抱いたきっかけ、現場でのエピソードをうかがいました。

「食品物流」こそ、社会を支える仕事だと思った

-就職活動時、大切にしていた企業選びの軸はありましたか?

業界を問わず、「社会を下支えする仕事」に就きたいという思いがありました。ゼミやサークルなど所属するコミュニティーで、自ら仲間を引っ張るよりも、リーダーを支える仕事を率先してやっていることが多く、物事がスムーズに進むよう裏で動く方が自分には合っているのではないかと考えたのです。
就活を始めたころは、人々が快適に過ごす街づくりに魅力を感じ不動産業界を見ていましたが、当時は就職氷河期で活動に苦戦。視野を広げてより幅広い業界を見た時、興味を引かれたのが「物流」でした。普段、物流に意識を向けたことはありませんでしたが、よく考えれば、あらゆるものが私たちの元に届くのは、物流があるからです。「物流が止まれば、日本は動かなくなる」ということに気づき、「社会を下支えする仕事」という軸にぴったりだと思いました。

 

-何が入社の決め手になりましたか?

ニチレイロジグループは、低温物流領域で国内トップクラスの規模を誇ります。スケールの大きな仕事ができるのではないかという思いは、入社を決める上で大事な要素でした。また、面接で終始リラックスして話すことができ、自然体で働くイメージが持てたのも大きかったです。

 

人々の生活を支えている実感があった

-入社後の仕事内容を教えてください。

1年目に横浜南物流センターに配属になり、量販店向けのTC業務を担当しました。TC事業とは、生鮮品などのチルド食品を中心に、さまざまな業態の小売店に向けトランスファーセンター(TC:通過型物流センター)機能を提供すること。私は地域密着型の量販店の担当となり、お客さまからの要望に沿って、各メーカーから物流センターに納品された商品を店舗別に仕分け・配送する業務の管理を担いました。担当した量販店が地元でよく使うお店であり、携わった商品を目にする機会も多かったので、「人々の生活を支えている」と日ごろから感じることができました。
ただ、センターは24時間、365日体制で稼働しているので、シフトによっては夜勤もあり、体力的にはなかなかハードなことも…。夜中に、誤ってドライバーさんが商品を大量にまき散らしてしまい、それを黙々と片づけていた時は、「私は一人で何をやっているんだろう」というやるせなさと切なさを感じました(笑)。

 

在庫調整の失敗を、失敗のまま終わらせない

-ターニングポイントとなった仕事は何ですか?

3年目に営業部に異動になり、大手アイスクリームメーカーの西日本エリアへの在庫調整業務を担当したことです。メーカーの工場から、西日本の各拠点にある保管型物流センターへの商品配送手配を担当したのですが、その年の夏に、社会人人生で最も大きな失敗をしてしまいました。アイスクリームが年間で最も売れるお盆のシーズンに、在庫不足を招いてしまったのです。
アイスクリームは、夏と冬にそれぞれ売り上げが伸びる時期があります。しかし私は、毎月一定の数量を、確実に配送することだけに意識が向いていて「今月はこの時期だから、このエリアに多めに配送しよう」など、時期や場所に応じた在庫調整をしていませんでした。生産している商品数には上限があり、アイスクリームはすでに全国の拠点で保管されています。不足しているのなら、在庫に余裕がある物流センターから、足りないエリアへと回すしか方法はありません。連日のように配送会社さんに電話をし「このセンターからあのセンターまでトラックを回せませんか」と懇願。何とかお盆の時期を乗り切ることができました。当時は「このメーカーのアイスが売り場に少ないのは私のせいなのではないか」と思い詰め、コンビニエンスストアやスーパーのアイスクリーム売り場に近づくこともできないほどでした。今でも思い出すと心が痛いです。
でも、失敗をそのまま終わらせないようにと、何が原因でミスが起きてしまったのか、何を確認すべきだったのか、アイスクリームという商材を扱う上での注意点などを、後任に引き継ぐ際の資料にまとめました。また、配送に必要な車両台数をシステム上で簡単に計算できるようなツールも作成。次に仕事を担当する人がやりやすいように…と考えるようになったのは、この大失敗があったからだと思います。

 

関根さんの入社後のキャリアグラフ

これまでご紹介した関根さんの社会人1年目からのキャリア、現在に至るまでのプライベートにおける「心の充実度」の変化を、ご自身にグラフにしていただきました。
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3年目の失敗が社会人人生で一番落ち込んだ出来事だそう。それでも6年目を迎えるころには、お客さまとの信頼関係も確実に築けていた。女性活躍推進室の活動は、立ち上がった当初から大きなやりがいにつながっている。

 

後編では、女性活躍推進室を立ち上げた理由、その活動内容について話をうかがいます。

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→次回へ続く

(後編 9月29日更新予定)

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

<後編>ニチレイロジグループ

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今回の取材先 株式会社ニチレイロジグループ本社
国内外に約100カ所以上の拠点、約180万トンもの冷蔵保管能力を持つ。2005年に株式会社ニチレイにより分社化。低温輸配送・低温保管・国際物流などを手がける食品物流のリーディングカンパニーの地位を確立している。
せきね・まゆこ●経営企画部 兼 女性活躍推進室マネジャー。神奈川県出身。35歳。早稲田大学教育学部社会科卒業。2004年入社。現在、2017年9月に結婚した夫と2人暮らし。

物流センターでの経験を経て人事部に異動し、女性活躍推進室を立ち上げた関根さん。「後輩たちが働きやすい環境を」と、今も続けている活動について話をうかがいました。

後輩たちのキャリアの選択肢を広げたかった

-現在の仕事に至るまでの業務について教えてください。

営業部での業務を経て7年目には再び現場に戻り、保管型の物流センターで外食店や量販店を担当しました。保管事業は、全国約80カ所にあるディストリビューションセンター(DC:保管型物流センター)で保管・入出庫、通関や流通加工まで幅広いサービスを展開する事業のこと。TC(通過型物流センター)事業とは異なり、直接担当するお客さまは、物流センターに商品を納品、保管する各メーカーになります。
現場を離れていたこともあり、「7年目のベテランなのに、知識も経験もない」ことに悩んでいたのがこの時期。同じ現場に同期メンバーがいたのですが、優秀な彼と比較されるのが嫌で、心も閉ざしがちに。でも、思い切って仕事の相談をするようになると、「わからないことは恥ずかしいことじゃない」と心が軽くなり、知識量もぐんぐん増えていきました。
10年目からは、人事部での労務管理業務や採用業務を担当。マネージャー登用試験を受け、2016年にマネージャーに昇格しました。2017年からは経営企画部でニチレイロジグループの経営計画の策定や外部向けの事業報告会の運営などを担っています。

 

-マネージャーになろうという思いはいつぐらいから持っていましたか?

「なりたい!」という前のめりな思いがあったわけじゃないんです。マネージャーになる道を考えた時、真っ先に思い浮かんだのは後輩たちのことでした。
物流業界は男性社会のイメージが強く、現場で働く社員もこれまでほとんどが男性でした。事業所でも、「お客さま対応や営業は男性の仕事で、女性が担うのは資料作成などのサポート業務」という考えが根強くありました。私は、女性総合職の新卒採用2期生ということもあり、「私がやったことが次の世代につながっていく」という思いを常に持っています。私がマネージャーにならなかったら、後輩たちの選択肢の幅を狭めてしまうかもしれない。事例を作ることで今後女性が働きやすい環境ができるなら、ぜひチャレンジしよう。そんな気持ちが先にありましたね。

 

女性活躍推進室の活動が、現場の意識改革につながったらいい

-より働きやすい会社をつくるために、今取り組んでいることはありますか?

人事部に配属された時に「女性活躍推進室」を立ち上げ、現在もプロジェクトマネージャーとして活動しています。立ち上げのきっかけは、人事部の専務(当時)の「女性が働きやすい会社づくりのために何かやろう!」というひと言。賛同した女性社員4人が集まり、さまざまな施策を企画・実施してきました。
例えば、都内のホテルに女性社員約70人を集めて行った「咲カセル ロジ女フォーラム」では、キャリアに関するワークショップなどを開催。マネジメント側の意識改革のために実施した「部署長向け講演会」では、外部の研修会社を活用し、専務と一緒に全国の事業所を回りました。ほかにも、「ロジ女通信」というタイトルで社内のイントラネット上で情報発信を行うなど、地道に啓もう活動を進めています。

 

-今後、実現したいことは何ですか?

女性活躍推進室の活動がもっと社内に広く認知され、物流センターから事務所まで、各拠点で働く人たちの意識改革につながっていけばうれしいですね。活動に興味を持ってくれて、「一緒にやりたい」と言ってくれるメンバーがいれば大歓迎。今後はさらに、福利厚生など制度面の充実にもつなげていきたいです。

 

2017年5月、友人と勝沼のワイナリー巡りへ。
天気にも恵まれリフレッシュできた。

 

ある一日のスケジュール

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ニチレイロジグループの経営計画の進捗について共有する「モニタリング会議」に向け、資料作成を担うことが多く、会社の運営にかかわっていることを実感する。

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

<前編>株式会社リコー

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今回の取材先 株式会社リコー
デジタル複合機、カラーレーザープリンターをはじめ、ソフトウェア、半導体、撮影者を取り囲む上下左右360度の全方位をワンショットで撮影できる全天球カメラ「RICOH THETA」など幅広い分野の製品を約200の国と地域に展開する精密機器メーカー。デジタル複合機などを利用するオフィス顧客への提供価値拡大と、これまで培ってきたプリンティング技術を商用印刷や産業印刷などオフィス以外に広げることの2つを成長領域に定め、重点的に事業を展開している。
なかむら・まゆみ●研究開発本部 リコーICT研究所 AI応用研究センター ソリューション探索室。神奈川県出身。33歳。電気通信大学大学院情報システム学研究科 社会知能情報学専攻修了。2009年入社。現在、夫と4歳の娘、0歳の息子と4人暮らし。写真は、中村さんのデータ分析を基に業務改革を進める他部署の担当者との打ち合わせの様子。

社内の各部署の業務にかかわるビッグデータを解析し、業務改革に向けた課題の解決に取り組んでいる中村さん。人の行動や動作に関する研究に関心を持ち、研究開発部門で先端技術の応用可能性を探索する仕事から始まり、現在に至るまでのキャリアを振り返ってもらいました。

人の行動や動作に対する関心と、会社の研究分野が合致した

-就職活動時にどのような基準で会社を選びましたか?

最も重視していたのは、「人の行動や動作に関する研究開発を行っていること」です。大学院で災害や事故が起こったときの人の行動を分析し、モデル化する研究を行っていたので、就職先でも人の行動や動作にかかわる研究に、できればデータ分析という観点から携わりたいと考えました。また、「自分自身が楽しく働ける雰囲気が会社や社員にあるか」や、将来は結婚・出産もしたいと考えていたので「女性の働きやすさに関する制度が充実していること」も重視しました。

 

-その上で、リコーへの入社の決め手は何だったのでしょうか?

重視していた3点が最もそろっていた会社だったからです。当時参加したインターンシップの内容が、「働きやすいオフィスを実現するにはオフィスにどのような機能があればいいか、オフィスで働く人を観察して考える」というもので、まさに自分が携わりたい人の行動や動作にかかわるテーマでした。

 

また、選考などで接した社員の方々に対しても「こんな人たちの中でなら、きっと楽しく、幸せに働けそうだな」と感じましたし、女性の働きやすさについても、育休取得者や短時間勤務制度の利用者が一定数いて、離職者数も少なかったので、両立できる可能性が高いだろうと判断しました。

 

先端技術に触れる面白さを感じる一方、市場性を見通した研究を行う難しさを実感

-入社後は研究開発部門に配属されたそうですが、どのような業務を担当されたのですか?

配属されたのは、当社で「可能性探索」と呼ぶ研究を担当する部署です。将来、新しい製品を生み出すことができそうな先端技術について研究するのが役割で、私は先輩と一緒に2つのテーマを担当しました。

 

1つは、人が行っている動作を、その体に装着させた加速度センサーの信号から推定する技術です。産業分野での応用を視野に入れたもので、例えば、加速度センサーによって作業者の動作を正確に把握することで無駄な作業の低減につながることを期待していました。

 

もう1つは、スマートフォンなどに使われるフラットパネルに、あたかもボタンを押しているような感覚を提示する振動を起こす技術です。ちょうど、携帯電話がフィーチャーフォンからスマートフォンに置き換わろうとしている時期だったので、フラットパネルを押した際にボタンを押す感覚が持てた方が使いやすいのではないかという考えから進めていた研究です。

 

-大学院時代の研究とどのような違いを感じましたか?

将来の市場性、すなわち、「どんな製品に応用できて、どのくらいの売り上げが見込めそうか」を説明できるかどうかでテーマの存続が決まるという点ですね。テーマごとに先輩と2〜3人のチームで研究を進め、一定期間ごとに研究を継続すべきか関係者間で検討するのですが、その判断材料の一つが、市場性でした。大学院の研究では考えたことがなかったので、先端技術に触れられる楽しさを感じる一方、大きな市場を描きながら研究を進める難しさを実感しました。

 

データ分析技術を磨くため、社内公募制度を活用して異動

-可能性探索の仕事には3年間携わられたそうですが、その後、どのような経緯で現在の業務に就かれたのでしょうか。

4年目から、電子回路を印刷するプリンターシステムとインクの研究開発を行うチームに入ることになりました。私が担当したのは、液滴(インクの粒子)のシミュレーションとシステム制御プログラムの開発です。これはプリンテッドエレクトロニクスと呼ばれる分野で、当社のプリンティング技術を紙以外への印刷にも広げていくための技術開発という重要な仕事です。

 

ちょうど、研究した技術が製品となって外に出ていく姿まで見たいという思いが生まれていたところだったので、良い経験になるだろうと感じていたのですが、一方で、「人の行動や動作」という自分の興味の対象とは少し離れてしまったなという思いがありました。

 

そうしているうちに5年目に1人目の子どもを妊娠しました(結婚は入社3年目)。産休・育休中に今後のキャリアについてあらためて考えてみたところ、入社当初から希望していたデータ分析に携わり、その技術を磨きたいという思いに至ったんです。

 

6年目に復帰後、その考えを同僚に話していると、「データ分析を通して社内の業務改革を推進する」をミッションに掲げるデータインテリジェンス推進部(現部署の前身となる組織)の社内公募が出ていることを教えてもらって。応募した結果、異動が実現しました。

 

-「データ分析による社内業務改革推進」とはどんなお仕事なのでしょうか?

リコーグループの各部署の業務にかかわるデータ、いわゆるビッグデータを解析して、業務効率改善をはじめとした各部署の課題を明らかにしたり、解決方法を提案したりする仕事です。

 

例えば、当社の基盤事業であるデジタル複合機やレーザープリンターの保守においては、緊急の不具合によって突発的にお客さまの元に保守作業に訪問する頻度をいかにして減らし、計画的に保守作業を進められるかが業務効率の改善の大きな鍵を握っていました。

 

そこで、所属先では、機器の状態や利用状況をインターネット経由でリモート管理していた「@Remote(アットリモート)」という仕組みから取得できる機器の利用状況、また、複合機そのものに組み込まれた多数のセンサーからの信号などを分析して、故障を早期に予兆し、保守を担当する社員があらかじめ計画を組んで保守作業を行えるようにしたりしています。

 

私自身は、異動から2年弱は製品の保守・営業にかかわる課題を、その後、8年目から現在にかけては、人事や総務、経理などのスタッフ部門にかかわる課題を解決するためのデータ分析と提案を担当しています。ただ、当初は可能性探索の仕事との違いに戸惑い、難しさを感じることも多かったですね。

 

中村さんの入社後のキャリアグラフ

これまで紹介した中村さんの社会人1年目からのキャリア、現在に至るまでのプライベートにおける「心の充実度」の変化を、ご自身にグラフにしていただきました。
vol.219_リコー様_キャリアグラフ03
担当業務を通じて感じた課題を踏まえて、次に取り組みたい仕事や身につけたいスキルを考え、社内公募などチャンスがあれば挑戦した。また、産休・育休中は、1人目の時は上司と定期的にメールで連絡を取り合い、2人目の時はテーマの進捗状況や意見交換を行うビデオ会議に定期的に参加し、職場とのつながりを維持した。「どちらも希望制で、やりたい人はやればいいというものですが、私は活用したおかげで復帰後スムーズに業務にあたることができたように思います」。

 

異動当初は「データ分析による社内業務改革推進」の仕事に難しさを感じたという中村さん。後編では、その難しさをどのように乗り越えたのか、また、仕事とプライベートの両立についてうかがいます。

→次回へ続く

(後編 10月27日更新予定)

 

取材・文/浅田夕香 撮影/鈴木慶

<後編>株式会社リコー

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今回の取材先 株式会社リコー
デジタル複合機、カラーレーザープリンターをはじめ、ソフトウェア、半導体、撮影者を取り囲む上下左右360度の全方位をワンショットで撮影できる全天球カメラ「RICOH THETA」など幅広い分野の製品を約200の国と地域に展開する精密機器メーカー。デジタル複合機などを利用するオフィス顧客への提供価値拡大と、これまで培ってきたプリンティング技術を商用印刷や産業印刷などオフィス以外に広げることの2つを成長領域に定め、重点的に事業を展開している。
なかむら・まゆみ●研究開発本部 リコーICT研究所 AI応用研究センター ソリューション探索室。神奈川県出身。33歳。電気通信大学大学院情報システム学研究科 社会知能情報学専攻修了。2009年入社。現在、夫と4歳の娘、0歳の息子と4人暮らし。

社内の各部署の業務にかかわるビッグデータを解析し、業務改革に向けた課題の解決に取り組んでいる中村さん。後編では、異動当初に感じた課題の乗り越え方と、仕事とプライベートの両立についてうかがいます。

現場の知見をデータによって客観的に証明することで、課題解決の糸口を生み出す

-6年目に現在の部署に異動して感じた仕事の難しさとは、具体的にどのようなものだったのでしょうか?

異動して最初の2年弱は製品の保守・営業にかかわる課題を、その後、8年目から現在にかけては、人事や総務、経理などのスタッフ部門にかかわる課題を解決するためのデータ分析と提案を担当していますが、当初は、課題を解決したいと考えている部署の仕事を知らないことと、納期の短さに苦労しました。

 

前者については、これまでの仕事は決まったメンバーで研究所にこもって進めることが多かったため、保守や営業部門の社員がどんなふうに働いているのかを知らなかったんです。

 

にもかかわらず、気軽に「こんなデータをください」と依頼して、たびたび怒られていました。対象の部署の社員は日々、厳しいスケジュールで業務を行っています。そこに「データを抽出して渡す」という追加の作業が発生するわけですから、相手の業務や負担を理解しないまま、かつ、データの収集目的を明確にしないまま依頼しては怒られて当然です。でも、当時の自分はそれがわかっていなかったんですね。

 

後者については、対象の部署の課題をヒアリングして精査し、分析に必要そうなデータを提供してもらい、分析し、意味のある結果を出して提案する、ということを可能性探索に比べると短い期間で行わなければならなくて。1人目の産休・育休から復帰して以降、短時間勤務制度を利用して働いていたこともあり、限られた時間の中で素早く取り組むことがなかなかできませんでした。

 

-どのように克服しましたか?

まずは相手の職場に足を運んで、相手の業務を知るようにしました。多い時で週4回、私が現れても珍しいと思われないくらいに相手の拠点に出向いていると、細かい点で理解できていないことを教えてもらえたり、「こういうことがわかってきたんですけど、現場の感覚としてはどうですか?」などと相談したりできるようになり、対象部署の社員からの信頼度が少しずつ増すようになりました。あとは、素早く結果を出すために、やらなくてよいことを見極めるようにしましたね。

 

-今の仕事のやりがいを、どんなところに感じていますか?

データ分析を基にした提案が採用されたり、提案によって業務改善がなされたりすることはもちろんですが、対象部署で経験則として蓄積されている知見をデータで証明できるとうれしいですね。長年、そこにいる社員たちが蓄積してきた知見はそう間違っていないですし、それをデータで客観的に裏づけるのは、私たちの役割の一つです。

 

そして、現場の社員が気づいていなかった新しい知見をデータから導き出すのも私たちの役割。自分の興味のある「人の行動や動作」と「データ分析」の両方を通して、社内の業務課題の改善に携わることができることそのものにやりがいを感じています。

 

同僚への情報共有が、仕事と育児を両立させるポイント

-お子さまを2人ご出産されています。出産後、社内のどのような制度を利用されましたか?

保育園入園のタイミングの都合で、2度とも産休・育休の期間は6カ月間でした。復帰後は短時間勤務制度を利用して、通常の勤務時間よりも2.5時間短い5時間勤務で働いています。短時間勤務は、5時間、6時間、7時間の3つから選べます。

 

また、在宅勤務をいつでも行える状態にしています。今は対象部署に足を運びたいのであまり活用していませんが、必要なときに使うつもりです。それから、個人のタブレット端末にメールを転送して見られるよう申請中なので、許可が下りれば、対象部署の拠点への移動中など隙間時間にメールに対応でき、より効率的に時間を使えるようになると思います。

 

-仕事と育児を両立する上でどんな工夫をされていますか?

仕事の進捗状況を同僚や関係者にこまめに共有し、仕事の悩みや不安を家に持ち帰らないようにしています。

 

前者については、限られた時間の中、短いスパンで一定の結果を出すには、「今何をやっていて、どこまで進んでいて、どこに難しさを感じているのか」といったことを周りに説明・共有することが重要だと1人目の出産後に学びました。周りと共有することで、子どもの病気などで急に休まなければならなくなるなど、どうしてもうまく進められないときに同僚にフォローしてもらえますし、進め方のアドバイスももらえます。

 

後者は、仕事で焦りや不安を感じたまま帰宅すると、表情や態度に出てしまって、心から楽しく家族と接することができなくなります。1人目の出産後にそういう時期があったので、今は意識して、切り替えて帰宅するようにしています。

 

-今後の目標を教えてください。

「課題に対して成果を出す」というプロセスを今の仕事でしっかり回せるようになった上で、可能性探索の仕事に戻れればと考えています。

 

というのは、課題に対して成果を出すプロセスを回せるようになりたいというのも、現部署への異動を希望した理由の一つだったからです。可能性探索に携わっているときに「このテーマは先々どのように決着するのか」がずっと見えなくて、何かしら結果を出せるようになりたいと思っていたので。

 

この1年で一つ、採用に関する改善提案を実現できたので、向こう1年でもう一つ結果を出して、さらにもう1年で確実に結果を出せるようになりたいですね。

 

そして、可能性探索の仕事に戻ったときには、先端技術を用いて新しい製品を作り上げられる人になりたいなと思っています。

 

週末は、家族4人で散歩に出かけるのが恒例。近所の公園に出かけるなどして過ごす。

 

ある一日のスケジュール

vol.220_リコー様_スケジュール02

 

短時間勤務(5時間)の定時は9:15〜15:15だが、業務の状況に応じて16時ごろ退社することが多い。「夫に保育園の迎えを頼んで通常勤務者の定時である17時半に退社することも許容されています。フレキシブルに対応できて便利です」とのこと。保育園の送りは夫と半々。夫が車で送って行くときに同乗して駅まで送ってもらうことも。

 

家事の分担は明確に決めていないものが多いが、ゴミ捨てや風呂掃除は夫の役割。夫の方が出勤・帰宅とも遅く、帰宅後、やり残した家事を片づけてくれるのでやり残すことも多い。

 

取材・文/浅田夕香 撮影/鈴木慶

<前編>外務省

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今回の取材先 外務省
日本の国益を増進し、平和で安定したより豊かな国際社会の構築を目指す外務省。職員は、日本では外交政策を立案する「外務官僚」として、海外駐在中は世界各地の大使館・総領事館などで働く「外交官」として、安全保障や経済、国際的なルールメイキングへの参加や交渉、海外の日本人の保護、日本の正しい姿の発信など多様な課題に取り組んでいる。
やまさき・まりあ●外務省アジア大洋州局 南部アジア部 南西アジア課 課長補佐。東京都出身。30歳。東京大学法学部卒業。2010年入省。現在、夫と4歳の長男と3人暮らし。写真は、南西アジア課メンバーとの打ち合わせ風景。

南西アジア7カ国との外交担当として活躍する山崎さん。前編では、入省の経緯や「研修生」として社会人の基礎を叩き込まれた1~2年目、ライフステージの大きな変化を迎えた海外での3年目など、激動の新人時代を振り返っていただきました。

オープンでフラットな先輩方の人柄にひかれた

-就職活動時に仕事選びの軸にしていたことは何ですか?

在学中から漠然と、異なる文化に触れ、自分の世界がどんどん広がっていくような仕事がしたいと考えていました。司法試験にチャレンジする道を考えたこともありましたが、法学よりも社会問題に広く携われる方が自分の興味に合っていると考え、国家公務員試験勉強に力を入れることにしました。

 

-何が入省の決め手になりましたか?

試験(現 国家公務員試験総合職)に合格すると、志望する3つの省庁を見学(官庁訪問)できるんです。そこで初めて外務省を訪れ、「自分がやりたいことはここにある」と確信。もともと持っていた国際協力への関心があらためて引き出されていく感覚がありました。在学中は、模擬国連サークルで国際問題について調べたり、開発途上国支援の活動のために海外を訪れたりしたことがありましたが、当時は「外務省の仕事ってこんなもの」と少々偏った視点を持っていたんです。
でも、外務公務員の先輩たちは、官庁訪問に来た私の話をよく聞いてくれ、間違った知識を指摘しては丁寧に説明してくれ、とてもリラックスした雰囲気で応じてくれて。「こういう人になりたい、一緒に働きたい」と思う方が多く、働くイメージを具体的に持つことができました。

 

「研修生」として、社会人の基礎を身につけた1~2年目

-新人時代の仕事内容を教えてください。

外務省では、入省1~2年目は電話取り、頼まれた資料のコピー取り、議事録作成、企画資料作成など社会人としてやるべき基礎的な仕事を身につける時期とされています。私が配属されたのは、開発途上地域の経済協力に関してさまざまな計画を立案する、国際協力局開発協力総括課でした。当時は官民連携のプロジェクトも多く動き出し、ODA(Official Development Assistance:政府開発援助のための公的資金)の一つである、草の根無償(草の根・人間の安全保障無償資金協力)で現地のNGO団体を支援し、そこに民間企業も連携させるといった活動もありました。例えば、「開発途上国で畑を耕して製品の原料を生産したい」という国内メーカーと、畑の地雷除去活動を行うNGO団体を結び付けます。すると、畑がキレイになることで企業は土地を活用でき、現地の方々にとっては安全な土地が確保され、雇用も生まれるというWin-Winの状態が生み出せます。
私自身は、そういったプロジェクトを動かすための資料作成など、補佐的な仕事しかしていませんでしたが、国際協力がどう動くのかを間近で見られる貴重な学びの時間でした。

 

渡仏中の出産。子育てと学生生活の両立に必死だった

-キャリアのターニングポイントとなった仕事、出来事について教えてください。

入省3年目になると、外務省職員(現 国家公務員試験総合職と外務省専門職員採用試験によって入省した職員)は全員2年間の在外研修に行きます。在外研修を経て、現地での在外勤務が続くことも多く、キャリアの中ではとても重要な期間です。
外務省職員は、例年入省前に7言語(英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語、アラビア語、中国語)の中から1言語を研修語学として言い渡され、在外研修の2年間でその語学の習得を目指します。私は、学生時代に第二外国語として取っていたフランス語を学ぶべく、南仏のエクサンプロバンスという小さな街での研修を選択。渡仏1年目は語学の習得に集中し、2年目に大学院に通いました。地元の大学院に、国際人道法で有名な教授がいたため、その修士号取得を目指すことに。フランスは「国境なき医師団」が結成された国であり、人道法や人道支援に関して先駆的な国なんです。在外研修は、その2年間をどこでどう過ごそうと個人に任せられていて、自由でもありましたが、それだけ「学びのある2年間にしなくては」という重責もあります。私の大学院は朝8時から夜20時まで授業がびっしり詰まっていることもあり、今振り返ってもよくやり切ったなと思います(笑)。

 

生活環境の変化と同時に起こった人生の大きなターニングポイントが、長男の出産でした。入省2年目に結婚し、妊娠がわかったのは在外研修に行く前。
「渡仏するべきか否か」を人事や上司と相談すると、産休・育休を取得したのちに在外研修に行く選択肢も提示してくれ、続けられる方法を一緒に考えてくれました。そのサポート姿勢が非常に心強く、今でもとても感謝しています。ただ、ずっと準備してきた研修を頑張りたいという思い、また赤ちゃんが生まれる前の方が勉強しやすいのではという子育て経験者の助言もあり、悩み抜いて出した方法は、母に一緒にフランスに来てもらうことでした。
夫は省内の同期で、イギリスへの在外研修が決まっていたので一緒に暮らすことができず、いきなりの遠距離結婚に。母のビザを用意しバタバタと渡仏したあとも、慣れないフランス語と現地での生活、初めての子育てと勉強の両立に、毎日が必死でした。

 

山崎さんの入社後のキャリアグラフ

これまでご紹介した山崎さんの社会人1年目からのキャリア、現在に至るまでのプライベートにおける「心の充実度」の変化を、ご自身にグラフにしていただきました。
キャリアグラフ_v1

 

後編では、在外研修後の仕事内容ややりがい、子育てとの両立の工夫について話をうかがいます。

→次回へ続く

(後編 11月24日更新予定)

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

<後編>外務省

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今回の取材先 外務省
日本の国益を増進し、平和で安定したより豊かな国際社会の構築を目指す外務省。職員は、日本では外交政策を立案する「外務官僚」として、海外駐在中は世界各地の大使館・総領事館などで働く「外交官」として、安全保障や経済、国際的なルールメイキングへの参加や交渉、海外の日本人の保護、日本の正しい姿の発信など多様な課題に取り組んでいる。
やまさき・まりあ●外務省アジア大洋州局 南部アジア部 南西アジア課 課長補佐。東京都出身。30歳。東京大学法学部卒業。2010年入社。現在、夫と4歳の長男と3人暮らし。

前編では、フランスでの在外研修中に長男を出産し、学生生活との両立を続けたことをお話ししてくださった山崎さん。後編ではパリでの勤務や、海外出張の多い南西アジアとの外交担当として活躍しながら、プライベートを充実させて働く工夫をうかがいました。

世界195カ国のユネスコ加盟国代表団と出会い、多角的な視点を身につけた

-在外研修後、現在の仕事に至るまでについて教えてください。

フランスで2年間の在外研修を終えたあと、入省5~6年目は、パリにあるユネスコ日本政府代表部で、世界遺産の登録業務をはじめ文化分野の外交に取り組みました。
研修後の次のキャリアには「日本での勤務」か「在外勤務」の大きく2つの選択肢があります。フランス語を活用した在外勤務の場合、アフリカ諸国での途上国勤務が多いため、1歳の息子を連れて行くのは負担が大きいかもしれないという不安もありました。ただ、せっかく2年もの間学ばせていただいたのだから、習得した語学を活用した仕事をしたいという思いが強く、リスクを覚悟して在外勤務を志望することに。すると、人事部の配慮もあってかパリの勤務となり、一緒に渡仏していた母とともにパリでの生活が始まりました。夫はロンドンでの在外勤務となり、月に1~2回はユーロスター(ロンドンとパリ間を結ぶ国際列車)で片道約2時間かけて家族が集まる生活を2年間過ごしました。

 

当時の業務内容としては具体的に、「明治日本の産業革命遺産」や、「ル・コルビュジエの建築作品」(東京・上野の国立西洋美術館をはじめとした7カ国の17施設)の世界文化遺産登録などに従事。「明治日本の産業革命遺産」は、日韓の歴史問題が複雑にかかわった案件で、外交に携わる者として、さまざまな国や地域の立場を考えながら歴史を学び正しく発信する重要性を、あらためて感じさせられました。
ユネスコには、世界195カ国の加盟国代表団がいます。相手が日本の文化や歴史を必ずしもよく知っているとは限らず、こちらの知識を前提としたコミュニケーションでは関係が深まりません。世界遺産の登録を目指す過程においても、世界全体にとってその遺産の登録はどんな価値があるのかを相手にストンと落ちるように説明する必要があります。また、大国も小国も同じルールの下で議論 を行うマルチ外交では、ルールをよく勉強し活用する姿勢も大事です。そういったマルチ外交の基本姿勢は、ユネスコ代表部勤務時代に共に働いた先輩たちから学び、とても鍛えられました。

 

-パリでの仕事と子育ての両立で、苦労したことはありましたか。

ユネスコ代表部では、周りの職員がみんな子育てをしながら働いていたので、仕事と子育ての両立が当たり前の環境という心強さがありました。また、フランスでは2歳から幼稚園に入ることが権利として保障されているため、いわゆる「待機児童」はいません。幼稚園は自宅から徒歩3分のところにあり、夜の6時まで子どもを預かってくれるため、子育てをしながら仕事をしやすい国だと感じました。私の場合は、母が「フランスで子育てをサポートする」という大きな決断をしてくれたおかげで、全面的に頼り、仕事を続けることができました。東京に帰ってきてからもそうですが、感謝のあまり足を向けて寝られません(笑)。

 

平日は家族総出の子育て態勢。休日は子どもと目いっぱい一緒に過ごす

-現在の仕事内容について教えてください。

ユネスコでの2年間の勤務を経て帰国し、現在は南西アジア課で、インドをはじめ南アジア7カ国との外交を担当しています。
具体的には、2017年7月に発効になった日印原子力協定や、日米印3カ国の協力などを担当。日印原子力協定は、インドに原子力技術の輸出を認め、インドの原発市場への日本企業の参入が可能になるという賛否ある内容だったこともあり、2010年から長い時間をかけて交渉され締結に至ったものでした。国会審議のための資料を作成するために深夜残業した日も数知れず。厳しい審議を通って、無事、日印で協定が交わされた際は、歴史的瞬間に立ち会えたという大きな達成感がありましたね。

 

-仕事と子育てとの両立で、利用した省内制度や働き方の工夫について教えてください。

現在、週に1日はテレワーク勤務(時間や場所を選ばずに働ける勤務形態の一種。在宅勤務)をするようにしているので、その日は朝夕に子どもと過ごす時間をとることができます。「使える制度はどんどん活用しよう」という課の方針もあり、幼稚園への見送りに合わせてフレックスタイム制度を使ったこともあります。柔軟な働き方を選べる課の雰囲気には非常に助けられています。
業務上どうしても海外出張が入ってしまったり、深夜に急な資料づくりが発生したりと、平日に子どもと一緒にいる時間が限られているので、休日は2日間、目いっぱい子どもと過ごすことは欠かさないようにしています。

 

休日は、息子との時間をたっぷりと取る。近所の公園など外で遊ぶことが多い。

 

ある一日のスケジュール

再校_スケジュール(後編)02

インドとは3時間の時差があるため、現地とのやりとりは午後行う。子どもの迎えは母にお願いし、21時前後に帰宅することが多い。

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

<前編>株式会社ニコン

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今回の取材先 株式会社ニコン
1917年の創業以来、独自の技術でテクノロジーの最先端を走り続ける光学精密機器メーカー。映像の可能性の追求から、スマートデバイスやバイオサイエンスの進化、高度なものづくり、数十億光年彼方の宇宙を捉える挑戦まで、幅広い分野で人々の暮らしを支えている。2015年には網膜画像診断機器市場における先駆的な企業・英国Optos社を買収するなど、医療事業にも注力している。
ちば・さちこ●ヘルスケア事業部 マーケティング統括部 マーケティング部 商品企画課。静岡県出身。40歳。文学部文化学科卒業。2000年入社。現在、夫と4歳の娘と3人暮らし。写真は、社内メンバーと立ち話中の様子。

入社以来、一貫して生物顕微鏡領域を担当する千葉さん。幅広い製品知識を求められ苦労した新人時代、入社4年目で携わった大型プロジェクトの経験など、営業の仕事内容について話をうかがいました。

ペットボトルに挿してあったストローに、あたたかな社風を感じた

-就職活動時、大切にしていた企業選びの軸はありましたか?

大学時代はドイツに1年間語学留学をするなど、異文化や言語を学ぶことが好きでした。海外に携わる仕事をしたいと、メーカーや商社を中心に回り、中でも海外展開を広く進めている精密機器メーカーに興味がありました。

 

-何が入社の決め手になりましたか?

当社の会社説明会に行ったとき、出されたペットボトルにストローが挿してあったんです。丁寧な対応に、「人にやさしい会社だな」という印象を受けました。
女性の人事担当者がはつらつと自社の話をしている姿に、女性が働きやすそうな職場だと感じたことも決め手の一つとなりました。ただ、当時は「バリバリと長く働こう」と考えていたわけではなく、「やめるときに悔いが残らないように、目の前の仕事を全力で頑張ろう」と思っていました。

 

製品知識を身につけるのに一苦労

-入社後の仕事内容を教えてください。

入社後すぐに配属されたのが、生物顕微鏡の営業部署でした。病院や大学の研究室、医薬品メーカーの研究開発部門などで使われる顕微鏡を、アジア地域に向けて販売するのが主な業務です。現地の販売代理店に対して営業支援を行い、そこから各教育機関や企業へとニコン製品を提供いただくのです。
1~2年目は、製品を輸出入するための貿易関係の手続きや、現地の代理店に向けた販売促進施策の提案などを担当。新製品が出た際は、販売代理店の担当者と一緒に、お客さま向けの説明会を開きました。当時は、製品カタログの制作も担当しており、外部のデザイナーや印刷業者さんとやりとりするなど、入社直後から幅広い業務に携わっていました。

 

-新人時代に苦労したことは何ですか?

入社して数年は、自社製品を理解するまでがとても大変でした。
そもそも文系出身の私にとって、生物顕微鏡はおよそ触れたことのないもの。製品を実際に使うお客さま(エンドユーザー)の中にはノーベル賞を受賞した教授など著名な方もいらっしゃいます。当然ながら、お客さまの方がはるかに顕微鏡についてよくご存知です。専門家のお客さまからの問い合わせに対応できるように、製品に関する知識の引き出しが必須でした。社内講習会に定期的に参加するほか、開発担当者に話を聞きに行ったり、光学に関する教科書を読んだりして、現在も常に最新の知識を深めようとしています。

 

タイ政府向け億単位の大型商談に携わった

-ターニングポイントとなった仕事は何ですか?

入社4年目に、タイ全土の高校に生物顕微鏡を納入するという大型商談に携わったことです。タイの文部科学省にあたる省が、千数百台の学校向けの生物顕微鏡の納入を決めたことから、私が商談窓口になったのです。億単位の入札はもちろん初めての経験。規模が大きいので、都度上司の許可をもらいながら、落札、商談、出荷、納入までを行う1年半ほどの大プロジェクトでした。
入札が決まるとまず、工場の生産計画を立て製造スケジュールを綿密に調整。大規模な物量をスムーズに輸出するために、国際物流の担当部署と出荷スケジュールを詰めていきました。ただ、スケジュールを組んでいても、日本と納期に対する感覚が違い、遅延が発生することも…。そのたびにスケジュールを見直し、時には運輸会社の担当者と直接話をして日程調整をお願いするなど、正確な生産管理、スケジュール調整にはとても苦労しました。
「無事、納入まで完了するのだろうか」とハラハラしたこともありましたが、タイの販売代理店さんととてもいいパートナーシップを築けていたのが心強かったですね。現地の状況を教えてもらったり、スケジュール通りに進めるよう納入先の学校現場へ調整に回ってもらったり。同じゴールに向けて苦楽をともに走り切った経験は、大きな自信になりました。

 

-現地の販売代理店さんと共に仕事をした経験はご自身にどう影響していますか。

「販売代理店さんの立場でお客さまをイメージして仕事をする」ことの大切さを学びました。
タイを担当した後、5年間、韓国の販売代理店を担当したことがあったのですが、一度、大学教授の方から大変なお叱りをいただいたことがありました。新製品の導入を決めていただいた教授の元へ、販売代理店担当者と私、製品説明担当のアプリケーションエンジニアの3人で製品の詳細について説明にうかがったことがありました。しかし、新製品ゆえに私もアプリケーションエンジニアも、製品開発者ほど完璧に製品について理解できておらず、教授の質問に対してすべて明確に答えることができませんでした。その際、販売代理店の担当者さんが「なぜ、素人を連れてきたんだ」と強く怒られている姿を目の当たりにし、現場の厳しさをあらためて痛感。お客さまに対して事前にもっとヒアリングして、開発担当者を連れてくるなどの対応が必要だったと反省しました。世界各地でニコン製品を販売している代理店さんのためにも、やれることがまだまだあると気が引き締まった経験でした。

 

千葉さんの入社後のキャリアグラフ

これまでご紹介した千葉さんの社会人1年目からのキャリア、現在に至るまでのプライベートにおける「心の充実度」の変化を、ご自身にグラフにしていただきました。
前編_キャリアグラフ
新人時代は、求められる業務内容と、自分の知識や実力のなさとのギャップに苦しんだが、
経験を積み大型商談を任されるようになり、自身をもって仕事ができるようになった。

 

後編では、1年間の産休・育休を経て、商品企画課で活躍する現在について話をうかがいます。

→次回へ続く

(後編 12月8日更新予定)

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子


<後編>株式会社ニコン

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今回の取材先 株式会社ニコン
1917年の創業以来、独自の技術でテクノロジーの最先端を走り続ける光学精密機器メーカー。映像の可能性の追求から、スマートデバイスやバイオサイエンスの進化、高度なものづくり、数十億光年彼方の宇宙を捉える挑戦まで、幅広い分野で人々の暮らしを支えている。2015年には網膜画像診断機器市場における先駆的な企業・英国Optos社を買収するなど、医療事業にも注力している。
ちば・さちこ●ヘルスケア事業部 マーケティング統括部 マーケティング部 商品企画課。静岡県出身。40歳。文学部文化学科卒業。2000年入社。現在、夫と4歳の娘と3人暮らし。

入社14年目で1年間の産休・育休を取得した千葉さん。営業から商品企画への異動も経験した今、仕事とプライベートとの両立について話をうかがいました。

メンター・メンティ制度を活用し、心が軽くなっていった

-産休・育休を経て職場復帰し、仕事観は変わりましたか?

産休・育休を取得したのは、入社14年目の1年間。13年間がむしゃらに突っ走ってきたという思いがあり、燃え尽き症候群のような状態になっていたのかもしれません。時短勤務で復帰後、仕事にどう取り組むべきか悩む時期が1~2年続きました。「さあ、また頑張ろう」と自分を奮い立たせたものの、子どもの発熱や体調不良で保育園に呼び出されることばかり。最初の2カ月間、週5日連勤できた週が一度もなく、仕事との両立の難しさにぶつかりました。
復帰してもともと希望していた商品企画の部署に異動となり、新製品の商品企画から発売までを一貫して担当できることに。でも、責任ある仕事を任されても時間的制約があり完遂できない…と落ち込み、上司によく相談していましたね。

 

-その後、仕事への取り組み方が変わるきっかけはありましたか?

子どもの成長とともに、私にも余裕が出てきたことですね。業務管理もうまくできるようになりました。
一番大きかったのは、社内のメンター・メンティ制度を活用したことです。この制度は、他部門の先輩(後輩)をメンター(メンティー)につけ、毎月1回1時間程度、面談をするというもの。最初に上司から「メンター・メンティ制度を使ってみたら」と言われたときは、「ただでさえ時短勤務で時間がないのに、面談時間なんて割けません」と拒否(笑)。でも、上司が根気よく「なかなか評判がいいから、やってみなよ」と声をかけてくれ、せっかくの社内制度なのだからと試してみることに。メンターとなった、子育てをしながら課長として活躍している他部門の女性先輩社員と話すようになり、「共感してくれる」存在が社内にできたことで、背負っていたものが少しずつ軽くなっていく感覚がありました。1時間、愚痴しか言っていないこともありますが(笑)、「わかる、わかる」「よくあるよね」と言ってもらえることの大切さに気づかされました。
その方には、「自分を追いつめず、長く働くために自分の働き方を考えた方がいいよ」とアドバイスを受け、ようやく、「子育てを優先しながら仕事も続ける」というスタンスでいいのだと思えるように。メンターにも、制度を再三薦めてくれた上司にも、とても感謝しています。

 

営業をやっていたからこそわかる視点を、商品企画に取り入れたい

-現在の仕事内容について教えてください。

商品企画担当部署で生物顕微鏡関連の新製品を世の中に出すまでの全プロセスに携わっています。開発部門と連携しながら、新製品のコンセプトを立案し、販促計画・戦略を企画書にまとめ、社内会議を通過したら具体的に開発スケジュールを詰めていきます。
販売代理店側の要望も聞き、どういう製品がどれくらいの台数必要なのか、利益はどれくらいを見込み、どんな販売戦略を立てるのかを詳細に設計し、最終的な社内商品会議を経て製品化が決まります。営業時代の経験から、どんな製品が求められているか、どういう競合製品があるかといった知識があり、とても役立ちました。一方、苦労したのは、製造、開発、販売代理店の3者の意見や要望が少しずつ異なること。営業が売りやすい製品を出したいけれど、原価計算をすると採算が合わない…など、一筋縄ではいかない事情があり心苦しさがあります。営業経験の長さを強みとして、各担当が同じゴールに向かって連携を強められるようにすることが、私の役割かなと思っています。

 

-今後、実現したいことは何ですか?

商品企画のプロセスにマーケティングオートメーション(デジタルマーケティングの一部のプロセスを自動化し業務効率化を図るシステム)を導入したいと考えています。マーケティングオートメーションによって、お客さま一人ひとりがどのサイトに何回アクセスしているのかをデータ化できれば、「どのお客さまが何の製品に興味があるのか」がわかります。その情報を基に「このお客さまへアプローチしたらいい」といった情報を営業担当に出せるようになれば、営業担当の業務は非常に効率的になります。
営業時代に感じていた「商品企画課がこんな情報をくれたらいいのに」という思いをすべて実現したい。同じゴールに向けて、関連部署がWin-Winになれる情報提供を進めていきたいですね。

 

2017年夏に、家族3人で沖縄へ。美しい海で遊んで、常夏を満喫。

 

ある一日のスケジュール

後編_スケジュール

週に1回は大船(神奈川県)にある製作所で開発担当者と打ち合わせをする。その際は朝から直行で、1時間かけて製作所へ。普段は自宅から徒歩で通勤するため、朝は比較的ゆっくり過ごしている。

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

<前編>株式会社ゴールドクレスト

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今回の取材先 株式会社ゴールドクレスト
用地取得から商品企画、広告戦略立案、販売・管理に至るまで、すべてを自社で手がける不動産デベロッパー。東京都中央区・港区など都心を中心に、タワーマンションなどの物件を開発している。
いまいずみ・まさこ●設計監理部 係長。広島県出身。35歳。九州大学工学部建築学科卒業。2004年入社。現在、夫と5歳の息子、3歳の娘と4人暮らし。写真は、物件の模型を前に外観デザインについてメンバーと話し合っている様子。

入社以来一貫して設計監理部に所属し、タワーマンションをはじめとした大型物件の開発を担当している今泉さん。新人時代の仕事内容、初めて担当物件を持った苦労と面白さについて、話をうかがいました。

デベロッパーで「住まいづくり」を実現したい

-就職活動時、大切にしていた企業選びの軸はありましたか?

大学で建築学科に進学した時から「住まいにかかわる仕事がしたい」と思っていました。
「住まい」に興味を持ったきっかけは、新築の戸建てに引っ越した小学校1年生の時。完成した家に初めて足を踏み入れた時の高揚感がとても鮮明で「あんな感動を届けられる住まいづくりの仕事ができたら」という憧れから、建築学科への進学を決めました。

 

大学に通っていた当時、建築学科の学生は8~9割が大学院に進学していましたが、私は早く社会に出て実践的な経験が積みたいと思っていたため、就職の道に進むことに。就活を始めた当初は、ハウスメーカーや住宅設備メーカーなど、人々の暮らしに身近な会社に興味がありました。一人ひとりの生活に寄り添い、暮らしをより豊かにするような仕事に携わりたいと思っていたんです。

 

デベロッパーには、「街づくり」「再開発」といった大規模な事業を手がけ、個人の暮らしにはごく間接的にしかかかわらないというイメージでした。しかし、ゴールドクレストの会社説明会に行って、そのイメージが一変したんです。用地の取得から物件の企画、販売、お客さまに対するアフターサービスまでを自社グループで手がけており、人々の暮らしを総合的にデザインできる会社でした。「一人ひとりの住まいづくりにかかわりたい」という夢を、デベロッパーで実現できるのではないかと、魅力的に感じました。

 

デスクに置かれた先輩からのメモに救われた

-入社後の仕事内容を教えてください。

設計監理部に配属になり、マンションの計画、外装・内装デザイン、販売促進物の作成まであらゆる工程を担当してきました。1年目はわからないことだらけなので、先輩が担当する物件の模型を作ったり、会議資料をまとめたりと補佐的な仕事をしながら業務を覚えました。会議では、外観デザインを検討するためのエスキス模型を作り、それをさまざまなアングルから見ながら検証し、「壁の色はもっと明るい方がいい」「エントランスはもう少し大きくてもいいね」などと議論しながらデザインを詰めていきます。壁の素材や色が異なるとどんな印象になるのかなど、先輩たちの発言をメモして、知識を深めていきました。

 

1年目はお客さまの生の声を知るために、土日はモデルルームで接客をして営業も兼務していました。お客さまが物件のどんなところを見ているのか、どんな間取りに利便性を感じるのかを実践的に学ぶ、いい機会となりました。

 

-苦労したことは何ですか?

2年目に初めて「担当物件」を持った時、できないことの多さに毎日落ち込んでいましたね。設計監理部の業務は、土地の仕入れ後の配棟計画、間取りの決定、外装・内装デザイン、エントランスホールなどの共用部分や共用施設の設計デザインから、モデルルーム設計、販売促進のためのパンフレットや図面資料の作成まで、企画から販売までの全工程にかかわります。初担当は28戸の小規模マンションで、外観・間取りもほぼ決まり、工事の着工後に先輩から引き継いだ物件でした。施主としてゼネコン(工事全体の取りまとめを行う建設業者)さんや、設計事務所さんに対してのディレクション業務に、「何の経験もない2年目の自分が指示を出していいのだろうか」と戸惑ってばかりでした。

 

工事計画が着々と進行している中で、社内から「よりいい物件にするためにエントランス部分の素材を見直した方がいい」などの声が出ると、施主である物件担当者として、現場との交渉を進めなければいけません。「もうここまで進んでいるのだから変えられない」「変えるならこれくらいの工事費用が必要になる」といった現場の要望を聞きながら、会社としての意見も伝えなくてはならず、板挟み状態に。現場との信頼関係が築けているとスムーズにいく交渉も、経験値の少なさゆえに最初は難航し、うまくいかないことが多くありました。

 

現場から帰るといつも泣きそうな顔でデスクにいたからか、ある日出社したら「現場の担当者さんに、金額の件は伝えておいたから大丈夫だよ」という先輩からのメモがあったことも。今思えば、その先輩も人一倍忙しそうに現場を走り回っていたのに、私の曇った表情を見て助けようと思ってくれたのでしょう。さりげなく手を差し伸べてくれる周りの環境にはとても救われましたね。

 

内覧会でのお客さまの喜ぶ姿が励みになる

-ターニングポイントとなった仕事は何ですか?

入社4年目で、100戸超の注目度が高い大規模な都心物件を、初めて一から担当したことです。
住棟のプランニングから、間取りの設計、内装デザインのアイデア出しと設計事務所との打ち合わせなどを進め、1年かけて開発していきました。3LDKの間取りを中心にファミリー層を対象とした物件だったので、広い中庭にバーベキューができるスペースも設計。マンション敷地内で交流が生まれるように工夫を凝らしました。内装を考える際は、新人時代にモデルルームで接客をした時の経験が役に立ちました。

 

例えば、キッチンのシンクは広い方がいいだろうと設計したデザインに対し、「広いシンクよりも、広い調理スペースが欲しい」という声を多く頂いたのです。実際に使う立場になって考えるクセは、1年目での営業経験があったから身についたものだと思います。
仕事をしていて一番うれしいのは、完成した物件の内覧会で、入居予定のお客さまが「素敵な家だね」と話している姿を見る時。自分が開発から携わった家に、これから何十年も住んでいただくと考えると、完成した安堵感とともに身が引き締まる思いがします。

 

今泉さんの入社後のキャリアグラフ

これまでご紹介した今泉さんの社会人1年目からのキャリア、現在に至るまでのプライベートにおける「心の充実度」の変化を、ご自身にグラフにしていただきました。
vol.225キャリアグラフ_ 図版03
2008年のリーマンショック後は、全国的に住宅着工数が落ち込んだ時期。それまでの、わき目もふらず目の前の仕事に邁進(まいしん)してきた状態が少し落ち着いたところで、「自分の力をつけよう」と奮起。インテリアコーディネーターの資格を取得した。

 

後編では、2度の産休・育休を経た現在の働き方、仕事内容について話をうかがいます。

→次回へ続く

(後編 12月22日更新予定)

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

<後編>株式会社ゴールドクレスト

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今回の取材先 株式会社ゴールドクレスト
用地取得から商品企画、広告戦略立案、販売・管理に至るまで、すべてを自社で手がける不動産デベロッパー。東京都中央区・港区など都心を中心に、タワーマンションなどの物件を開発している。
いまいずみ・まさこ●設計監理部 係長。広島県出身。35歳。九州大学工学部建築学科卒業。2004年入社。現在、夫と5歳の息子、3歳の娘と4人暮らし。

入社9年目、11年目にそれぞれ1年間の産休・育休を取得した今泉さん。周りの理解がありがたいと話す、現在の働き方や業務内容について話をうかがいました。

4年目の後輩メンバーとペアを組み、柔軟な働き方を実現

-2度の産休・育休を経て職場復帰。仕事観は変わりましたか?

大きく変わったのは、時間の捉え方です。子どもが小さいうちは、昼寝をしてくれている間にいかに多くの家事を終えられるかのスピード勝負。「この1時間の間に、この家事を済ませよう」と頭の中で素早く計算しながら動く段取り力がつきました。職場復帰後は9時から16時までの時短勤務で常に時間に追われていますが、「今日やるべき仕事」と「明日でも大丈夫な仕事」という優先順位を見極める能力が上がり、判断力、決断力が以前よりも上がったと感じています。

 

育児との両立については周りの理解が深く、上司の提案により職場復帰後から「ワーキングシェア」をさせてもらっています。具体的には、現在4年目の女性社員とペアを組み、同じ物件を担当。私がいつも現場に足を運べるとは限らないので、現場での実務などは後輩が担当し、私は間取りのプランニングやデザイン案出しなどディレクション業務を担当します。若手メンバーにとっては、私の知見を吸収しながら実践的な業務経験を積むことができますし、私にとっては、案件に携わりながら時短勤務とうまく調整ができて、まさにWin-Winな関係。働きやすい道を提示していただき、とても恵まれた環境だなと思います。

 

上司の配慮で、やりたい仕事に集中できている

-現在の仕事内容について教えてください。

リゾートタワー施設の共用施設のデザインや、ホテルのリニューアル工事など、内装やデザインにかかわる業務を中心に担当しています。業務内容に関しては、「時間が限られているのだから、より得意なことをさせよう」と上司が考慮してくれました。

 

私は、「ヒューマンスケール(人が活動するのに適した空間のスケール)でいかに心地よい空間を作り出すか」に強い興味を持っていたので、入社5年目の時にインテリアコーディネーターの資格を取っていたんです。リニューアル工事は、既存の建物という“制限”の中で、内装デザインによって空間を一変させる仕事。新築物件とは違った難しさと面白さがあります。

 

-今後、実現したいことは何ですか?

今まで通り一つひとつの建物を全力でいいものにするよう責任を持って取り組んでいきたいですし、チャレンジも続けていきたいです。

 

今年はリニューアル工事という新しい業務を担当し、新たな分野で今までのノウハウを生かすことができ、手ごたえを感じました。これまで担当してきた新築のタワーマンションなど大型物件は、開発に1~2年かけることが多くありました。しかし、リニューアル工事は、1フロアを1カ月で完成させるなど、スピード感がまったく異なります。短い工期の中、素早い判断力が求められるチャレンジングな環境はいい刺激になっています。

 

設計には正解がないので、「もっとよくできないか」と常にベストなものを追求し続け、終わりがありません。できるだけ多くの物件を見て「この素材がいい」「色がいい」といった引き出しを一つでも増やしていく。それが提案の幅になります。土日に外出するときは、つい周りの物件を眺め、気になる壁や床の素材を触りに行ってしまうことも(笑)。入社以来、一貫して設計監理部にいますが、常に新しい物件が舞い込み、それは一つとして同じ条件ではありません。「その場所にふさわしい建物、人々がそこに住み続けたいと思えるベストな設計は何か」を毎回試されるので、飽きることがありません。

 

2017年10月、千葉の知り合いの農家で、野菜の収穫体験。

 

ある一日のスケジュール

タイムスケジュール_v1_01

夫は同じ業界の営業職。平日休みなため、週2回は保育園の送迎を夫に任せる。休みが合わないので、夏と冬に取る長期休暇が家族でゆっくり過ごせる貴重な時間。

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

<前編>株式会社クレディセゾン

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今回の取材先 株式会社クレディセゾン
クレジットカードをはじめ、さまざまなファイナンス事業を展開している株式会社クレディセゾン。業界に先駆け、「年会費無料カード」「サインレス決済」「永久不滅ポイント」などを生み出し、徹底した顧客志向とイノベーティブなサービスを特徴としている。2018年現在、社員の8割近くを女性が占める。2017年9月にはアルバイトを除く全従業員の正社員化に踏み切り、「挑戦する風土」の醸成に取り組む。
くりはし・のぞみ●カード事業部 営業企画部 プロモーション戦略グループ。栃木県出身。35歳。学習院大学文学部日本語日本文学科卒業。2005年入社。現在、夫と6歳の息子と3人暮らし。写真は、社内メンバーと業務について打ち合わせをしている様子。

7年間のカードカウンター業務を経て、現在ホームページやSNSのプロモーション戦略を担当している栗橋さん。今の自分につながる新人時代の経験、日々の接客業務で得た学びについて、話をうかがいました。

長い社会人人生を通して、弱みを強みに変えたいと思った

-就職活動時、大切にしていた企業選びの軸はありましたか?

就職活動中に思っていたのは「これから社会人になる自分は、強みも弱みもないまっさらな状態だ」ということ。これから始まる長い社会人生活を考えたとき、弱みだと思っていることや苦手意識のある分野に進んだ方が、それがいずれは強みとなり、人としてバランスよく成長できるのではないかという思いがありました。大学で日本文学を学んでいた私にとって“金融”は縁遠い世界。でもだからこそ、数字に弱いところや、ビジネス感覚のなさを克服できるかなと思ったんです。

 

当社との最初の接点は、大学3年の夏に参加した2週間のインターンシッププログラムでした。学生時代から付き合っていた今の夫が「絶対に興味ないだろうけど、こんなインターンがあるよ」と教えてくれて、いろんな世界を知れるチャンスかなと気軽な気持ちで参加。参加者全員でさまざまな課題に取り組む中で、徐々に“金融”の世界に興味を抱くようになりました。
インターンシップや選考で出会う人事担当者や社員の方が皆とてもオープンに話を聞いてくれ、「正直、この仕事はこんなところが大変だよ」など言いにくいだろうこともきちんと伝えてくれる方が多くいました。ここなら自然体で働けるだろうなと思ったのが、入社の決め手になりましたね。

 

1日30人以上の接客経験からノウハウを蓄積

-入社後の仕事内容を教えてください。

入社後は、実地研修として「インフォメーションセンター」に半年間配属され、お客さまからの電話相談、問い合わせ窓口業務を担当しました。「住所変更をしたい」「利用限度額を変更したい」といった基礎的な問い合わせから、「審査はどういう基準で行っているのか」という質問まで、さまざまなお問い合わせに対応。新規会員となる審査プロセスなど、クレジットカード事業の仕組み全体を知ることができた、貴重な研修期間でした。

 

その後、本配属で京都支店(現・関西支社)に配属となり、大手百貨店内のカードカウンターで接客営業を担当。インフォメーションセンターでは「声」のみで、お客さまの様子を想像しながら対応していましたが、支店での業務では、お客さまの身振り手振りや表情を見ながら会話ができます。得られる情報がぐんと増え、接客が一気に面白くなりましたね。

 

-カードカウンター業務ではどんな学びがありましたか?

支社では、お客さまのお問い合わせや相談に応対するとともに、社員一人ひとりが営業指標を持って提案を進めていきます。難しいのは、お客さまとのコミュニケーションの中で商品の提案をしていくこと。唐突に商品営業を始めてはお客さまが面食らってしまいますし、「新商品について知りたかった訳じゃなかったのに」と反応されてしまいかねません。まずは、来店したお客さまが何に困っているのか、どのサービスならばより快適にクレジットカードをご利用いただけるかなどを、会話の中で探りながら提案をする。そのためには一定のスキルが必要です。多いときは1日30人以上のお客さまを接客しながら、同カウンター内で働く同僚や先輩の会話を聞き、「なるほど、こういうお客さまの言葉からソリューションにつなげるのか」と学んでいました。フランクにお話して距離を縮めた方がいいお客さま、礼節を大事に丁寧に対応した方がいいお客さまなど、相手によってこちらの対応方法はまったく異なるので、コミュニケーション力が鍛えられました。

 

不安に寄り添い、一緒にできることを丁寧に伝える

-業務上のやりがいはどんなところですか?

お客さまから感謝の言葉をいただけるときが、やっぱり一番うれしいですね。カードカウンターには、「カードを紛失してしまった」「請求内容を知りたい」といった不安や要望を抱えて駆け込んでくる方もいらっしゃいます。そんなときに心がけるのは、お客さまの不安をまずは受け止め、思いに共感し、会社としてできる対応を丁寧に伝えること。お客さまは、何かきっかけがなければカードカウンターにはいらっしゃいません。初めて来る方が多いので、「何十人と接客するうちの一人」ではなく「それぞれが個別の相談を持った一人」として、お客さまの気持ちを汲み取ることの大事さを日々感じていましたね。

 

また、仕事を楽しむ上で、仲間の存在はとても大きいものでした。カードカウンター業務では、10~20人のメンバーと常に切磋琢磨。みんなで一丸となって支社の営業目標を追いかけ、達成できた時の喜びはひとしおです。カードカウンター業務は4店舗、計7年経験しましたが、どのカウンターのメンバーとも部活仲間のような連帯感があり、今でも大切な同志です。
カウンターには毎年新入社員が入り、OJT(On-The-Job-Training)で育成していきます。当社のOJTは、教育する側のための研修が充実しており、新入社員に任せるべき業務の行動指標が具体化されています。私自身がOJTの教育担当になったこともありますし、若手に任せて教える側・教わる側双方の成長を見守ったことも。育成側を経験したことで、アドバイスを伝える適切なタイミング、伝え方、言葉の選び方などをより深く考えるようになりました。

 

栗橋さんの入社後のキャリアグラフ

これまでご紹介した栗橋さんの社会人1年目からのキャリア、現在に至るまでのプライベートにおける「心の充実度」の変化を、ご自身にグラフにしていただきました。vol.227_クレディセゾン_キャリアグラフ0116
関西と関東の両方で接客を経験し、文化の違いを目の当たりにした。関西の顧客は人との距離が近く、取引先に「一人暮らしをしているのでしょう? おそうざいをあげるから食べなさい」とおすそ分けをもらうことも。愛情深く育ててもらいながら、貴重な若手時代を過ごした。

 

後編では、産休・育休を経た現在の働き方、仕事内容について話をうかがいます。

→次回へ続く

(後編 1月19日更新予定)

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

<後編>株式会社クレディセゾン

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今回の取材先 株式会社クレディセゾン
クレジットカードをはじめ、さまざまなファイナンス事業を展開している株式会社クレディセゾン。業界に先駆け、「年会費無料カード」「サインレス決済」「永久不滅ポイント」などを生み出し、徹底した顧客志向とイノベーティブなサービスを特徴としている。2018年現在、社員の8割近くを女性が占める。2017年9月にはアルバイトを除く全従業員の正社員化に踏み切り、「挑戦する風土」の醸成に取り組む。
くりはし・のぞみ●カード事業部 営業企画部 プロモーション戦略グループ。栃木県出身。35歳。学習院大学文学部日本語日本文学科卒業。2005年入社。現在、夫と6歳の息子と3人暮らし。

入社6年目に1年間の産休・育休を取得し、職場復帰した栗橋さん。「長く働けるように計画的にキャリアを考えるようになった」と話す、現在の仕事観や業務内容について話をうかがいました。

多忙のあまり記憶がない、職場復帰後の“ワンオペ育児”生活

-1年間の産休・育休を経て職場復帰。仕事観は変わりましたか?

職場復帰後は時短勤務でカードカウンター業務に戻りましたが、当時のことは、忙しさのあまり記憶がありません(笑)。結婚を機に帰京し、産休・育休を取得したのは入社6年目。その間、夫も1カ月間の育休を取得し、「家族3人、石垣島で子育てをしよう」という斬新なアイデアにより、息子が1歳になる直前に3人でコテージ暮らしを経験。唯一無二な子育てライフを経て、職場に戻りました。しかし、夫は名古屋に単身赴任中。一人で保育園の送り迎え、食事、入浴、寝かしつけ、あらゆる家事のすべてを担う、いわゆる“ワンオペ育児”(※)が始まりました。「子育てじゃなくて、孤独な“孤育て”だ」と何度思ったかしれません。夫が帰ってくる週末は、平日の疲れがどっと出て、ひたすら寝ていましたね。

 

そんな中でも仕事を続けられたのは、支社の仲間たちのサポートがあったから。息子が熱を出して仕事を抜けなくてはいけないときも「大丈夫、この業務とこの業務をやっておくから」と先回りして動いてくれるメンバーばかりで、気持ちの面で本当に助けてもらいました。元気なときもそうじゃないときも一緒に目標を追ってきた支社の仲間という、存在の大きさを痛感しました。

 

(※)従業員一人がすべての業務を切り盛りする「ワンオペレーション」が語源。育児・家事のすべてが一人に集中することを指す造語。

 

社内横断プロジェクトで新しい取り組みに携わる

-現在の仕事内容について教えてください。

入社8年目から営業企画部配属となり、ホームページやSNSのデザイン設計や更新業務を担当しています。職場復帰後に社内のジョブエントリー制度(社内公募制度)を利用し、ネット事業に異動したいというオファーを出していたんです。「1対1の顧客対応では自分なりのやり方は見出したので、今後は大勢に向けて発信する業務に挑戦したい」というのが私の思いでした。それをくみ取ってもらったのか、Web関連の業務に異動し、取扱高拡大の目的に向けたカード会員さまへの利用促進、顧客満足度を向上させる役割を任されました。Webの知識がまったくなかったので、わからないことがあれば、同僚や先輩、お取引先さまにもすぐに質問して知識を増やしていきました。そのころには夫の単身赴任も終わりフルタイム勤務に戻すなど、精神的に余裕も出てきましたね。

 

入社11年目には、社内横断プロジェクト「ポイント運用サービス」のメンバーに選ばれました。これは、今まで貯めるだけだったセゾンカードの永久不滅ポイントを、投資信託の価格に合わせて運用(投資を疑似体験)できるという画期的な新サービスです。2016年7月に、企画やコンプライアンス(法務)、システム設計、投資の専門家など各分野からメンバーが集まり、プロジェクトがスタート。半年間でリリースまで進めていきました。私はWeb関連の知識に加え、顧客接点の知見があるという点で選ばれましたので、お客さまにとってわかりやすく使いやすいサイト設計・デザインを提案する責任があります。プロジェクトメンバーからさまざまな要望が飛び交う中、何ができて何ができないか、サイトに入れるべき情報と捨てるべき情報は何かを整理していきました。

 

リリースから1年足らずで、約8万人(2017年12月時点)が利用する投資商品としては異例のスピードで拡大し続けるヒットサービスとなり、「投資」という難しいイメージを持たれがちなサービスを、シンプルでわかりやすく伝えられたかなと思っています。

 

このプロジェクトでも、通常業務のホームページやSNS更新業務においても、支社時代の接客経験は非常に役立っています。接客では「この質問をするということは、こんなことに困っているのかな」など、お客さまのニーズを想像しながら選択肢を狭めていきます。サイト設計でも同じように、お客さまが何を求めてサイトを訪れるのかを想像した上で、どこにどんな情報があると手間が少なく目的に行きつけるのかを考えます。やはり、対面でお客さまと接した経験は、財産であり強みだなと実感しますね。

 

長く働くために戦略的なキャリアを描くようになった

-今後実現したいことや、理想とする働き方はありますか?

まずは、Web系の知識をつけて仕事の幅を広げられるように、資格取得に向けて勉強中です。ゆくゆくはマネジメントや経営にも携わりたいですね。

 

子どもが生まれてから「長く働くために、若いうちにどういう経験をしておくべきか」をよく考えるようになりました。自分の時間をすべて仕事に費やせないからこそ、年次が上がることで必要とされる能力は何か、身につけるべきことは何かを逆算して戦略的に動くようになったんです。子どもが小学校に入ったら、学校からの帰宅時間などを考え、時短勤務を取りなおすことも考えています。上司にも「子どもが小学生になるまでは、時間の制約を気にせず仕事がしたいです」と伝え、仕事を任せてくれるようにお願いしました。私を信じて期待を寄せてくれる上司や職場環境に感謝しつつ、どんな働き方をしたいのか、計画的に考えることの大切さを感じています。

 

2017年秋に家族3人で京都旅行へ。2カ月に1度は家族旅行をするほど旅好き。一方で夫と息子2人きりで“父子旅”と称して行く海外旅行もすでに4度目!

 

ある一日のスケジュール

タイムスケジュール_v1_01

家事は、夫が料理、栗橋さんはそれ以外を担当。「一般的な男女が逆転している!?」と思うほど、家事・育児に協力的な夫。「働くことを理解し尊重してくれる夫選びが大事」と笑う。

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

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