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Channel: WOMAN’S CAREER –就職ジャーナル
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<前編>三菱電機エンジニアリング株式会社

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今回の取材先 三菱電機エンジニアリング株式会社
総合電機メーカーである三菱電機の開発・設計を担うパートナー企業。生活に身近な家電から宇宙開発に至るまで、社会や産業のさまざまなシーンで活躍する製品・システムづくりを、設計開発のプロ集団として支えている。蓄積した高度な技術力をベースに、独自のアイデアで創出した製品も社会に提案している。
くわだ・ゆきな●35歳。福山事業所事業推進部電子機器開発課開発グループ。広島県出身。愛媛大学工学部卒業。2006年に現在の会社に入社。夫と2人の子どもの4人暮らし。写真は、社内でプロジェクトについて打ち合わせを行っている様子。

電流を遮断するブレーカーの設計者としてキャリアをスタートした桑田さん。入社のきっかけと、1人目の子どもを出産後、夫の単身赴任により1人で育児をしなければならない苦労をどう乗り越えたか、お話をうかがいました。

「長く働き続けてほしい」という言葉に、この会社なら!と迷わず決めた

-就職活動時に重視していた仕事選びの条件はありますか?

小さいころからパズルなど理数系のものが好きでした。高校では理系に進み、大学の学部でも機械や電子、化学などを学び、メーカーの技術者に必要な基礎知識を習得しました。就活では、ものづくりの仕事に就くこと、そして、いったんは大学進学で離れた故郷に戻って働くということを考えました。

 

会社説明会にいくつか参加しましたが当時は女性エンジニアを積極的に採用している企業は少なく、まったく採用していない企業もありました。現在働いている事業所でも、当時女性エンジニアは少なかったのですが、就活時に男女分け隔てなく対応してもらえたことで、能力や意欲で評価してくれる会社だと思いました。

 

-就活のときにはすでに、「能力や意欲で評価してくれる会社」だと思ったんですね。

面接の時には、当時の所長から「辞めずに長く働き続けてほしい」と言われ、うれしかったことを覚えています。意欲や能力を正しく見てくれる、必要としてくれるこの会社で働きたいと、迷わず決めました。また所長の言葉を裏付けるように、会社の福利厚生や育児休業制度もとても充実していたので、出産しても働き続けられるという安心感につながりました。

 

入社3年間は先輩社員が育成指導者になり、業務アドバイスや精神面でフォロー

-入社後、どのような仕事を担当されましたか?

技術系総合職は最初の配属先を選んで応募することができ、故郷である広島県の福山事業所に配属になりました。
入社後はブレーカーの設計部門に配属。工場やビル、公共施設、学校など産業用低圧ブレーカーの設計を担当しました。ブレーカーの設計に必要な知識はなかったので、すべて新しいことばかり。でも当社には「育成指導者制度」というものがあり、3年間1人の先輩社員が育成指導者として、仕事の目的や具体的手段を指導してもらえるので、安心感はありました。手探りながら日々の業務をこなすことで、少しずつできることが増える喜びを感じていました。製造ラインから小さなブレーカーが出来上がったのを見ると、そのフォルムやコンパクトさに思わず「かわいい」と思ってしまうほどです(笑)。

 

-産休、育休とも取得されましたか?

2010年に同僚だった夫と結婚し、1人目を出産した時に産休と育休合わせて約2年の休暇を取得しました。出産後も「働いてほしい」と言ってもらえるほど、夫は仕事を続けることを理解してくれました。
それまでのキャリアが中断するという不安はもちろんありましたが、子育てを考えても20代で子どもを授かりたいと思っていたので、早く休んで早く復帰しようと思いました。子どもが1歳になったら復帰するつもりでいたのですが、保育所に入所できず、子どもが1歳を過ぎた2013年3月末まで取得できる育休をフルに利用し、4月から復帰しました。

 

責任ある仕事と子育てとのバランスが難しく、悩む日々

-復帰後は、どのような仕事を担当されましたか?

復帰後は電子機器開発課という新しい部署に配属になり、電力を監視する機器の設計を担当しました。短時間勤務をする選択肢もありましたが、子どもが3歳になるまで残業が免除される制度を利用して働くことにしました。

 

復帰した直後、夫が2年間の単身赴任に行くことに。実家が近くにありますが、毎日頼るわけにもいきません。子どもが病気のために休まざるを得ない日が続くこともありました。さらに、1年後には特定の機種の設計をメインで担当することになり、業務量や責任も大きくなって残業もするように。そのため子どもと接する時間が減ってしまい、さみしがって保育園に行きたくないと泣いてしまうことも多くなりました。いつだったか残業を終えて会社を出たら、早く私に会いたいと息子が母と一緒に会社の前で待っていたことがありました。この時は本当につらくてしんどい時期でした。

 

-新しい業務に変わり、大変だったことはありますか?

それまでのブレーカーは構造や電気といった知識が必要ですが、新しい業務の電子回路の設計は、まったく分野が異なります。子どもを迎えに行くため働ける時間も限られているので、わからないことは遠慮せずにとにかく周りに聞いて、一つひとつの仕事を乗り越えていきました。

 

大変な時期でしたが、仕事を辞めたり他部署に異動したりしても、何も解決にはならないと思いました。まずは3年間頑張ろうと決め、ひたすら目の前の仕事に集中してこなしていきました。

 

桑田さんの入社後のキャリアグラフ

vol.229_キャリアグラフ(再校)03

 

後編では、桑田さんの仕事とプライベートの両立について、お話をうかがいます。

→次回へ続く

(後編 2月2日更新予定)

 

取材・文/森下裕美子 撮影/滑 恵介


<後編>三菱電機エンジニアリング株式会社

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今回の取材先 三菱電機エンジニアリング株式会社
総合電機メーカーである三菱電機の開発・設計を担うパートナー企業。生活に身近な家電から宇宙開発に至るまで、社会や産業のさまざまなシーンで活躍する製品・システムづくりを、設計開発のプロ集団として支えている。蓄積した高度な技術力をベースに、独自のアイデアで創出した製品も社会に提案している。
くわだ・ゆきな●35歳。福山事業所事業推進部電子機器開発課開発グループ。広島県出身。愛媛大学工学部卒業。2006年に現在の会社に入社。夫と2人の子どもの4人暮らし。

1人目の出産後、電力を監視する機器の設計者として復職した桑田さん。前編では入社のきっかけと初めての出産から復帰後を中心にお話をうかがいました。後編では現在の仕事とプライベートの両立、今後のキャリアビジョンについてお話しいただきます。

2人目の育休後に復帰し、復職前の仕事量をこなす

-2人目の出産後の産休、育休でキャリアが再び中断する不安はありましたか?

長男の時は、仕事に戻りたいという思いを持ちつつも、約2年間の子育て中心の生活がとても楽しかったです。2人目も同じだろうと思っていたら、仕事に戻りたい、早く働きたいと考えるようになってしまいました。子育てにも慣れ、余裕があったこともあり、保育所に入れるタイミングで予定より少し早く復帰しました。

 

復職にあたり、当面はほかの人のサポートから徐々にと言われましたが、実際には出産前と同じ業務を担当することに。子どもの保育園のお迎えがあるので、残業分も含めた業務量を定時までに終わらせるという急発進の復帰になりました。もちろんハードでしたが、納期通りにできた時の達成感は大きかったです。やればできるもので、自身の裁量で段取りや仕事の進め方を考え、効率的に仕事を進めることができました。

 

-2人の子育てと仕事との両立で特に苦労したことや大変だったことは?

やはり、子どもが病気になると必然的に仕事を休まなければならないので、大変です。ただ単身赴任から戻ってきた夫が家事や育児に協力的で、朝は子どもを起こして着替えさせ、食器片づけ、ゴミ出しなどもやってくれるのでとても助かっています。子どもの病気のときは、夫が半分休みを取ってくれることも。お互いできることをやろう、というのが私たち夫婦の形です。2015年に夫が単身赴任から帰ってきた時は、張り詰めていた気持ちが楽になり、時間的なゆとりも生まれました。余裕がなく追いつめられていた時期を抜け出し、仕事も家庭もバランスよく進むようになりました。

 

充実した両立支援制度をフル活用して仕事と育児を両立

-現在、担当されている仕事について教えてください。

電力管理用計器の量産設計に携わっています。量産設計には、部品の仕様変更に対応した設計など安定した製造を続けるための維持設計と損益改善を目的とした原価低減設計があり、私はその両方を担当。通常、部品の仕様変更については原価が上がる傾向にありますが、その中でも製品の機能を維持しながら原価低減につながると会社に貢献できたと実感することができます。何より、机上で行った設計を図面にして試作し狙い通りの動きをしたときや、製造ラインで組み立てされて納品できたときはものづくりに携わる手応えを感じました。

 

-仕事と育児とを両立するために、どのような社内制度を利用しましたか?

制度を利用する立場になって、充実した両立支援制度があることを実感しました。産休、育休はもちろん、妊娠期間中は就業時間内に通院ができる制度や、子どもが3歳までは残業が免除される制度などがありました。さらに、現在は保育所に入れない場合に育休を2歳の3月末まで延長できるようになるなど、制度がより良くなっています。もちろん、男性も制度を利用することができ、私の働いている事業所では男性の育休取得者もいます。子どもを持っても長く働き続けてほしいという、会社の思いを感じます。

 

-今後の目標を教えてください。

管理職を目指して現場から離れるのではなく、一技術者としてずっとものづくりに携わっていきたいと思っています。まだまだ目先のことに追われていますが、日々の業務をコツコツやり少しでも知識や経験を増やし技術者として成長し続けることが今の私の目標です。

 

写真館で撮影した家族写真。週末は子どもの時間を大切にしている。

 

ある一日のスケジュール

vol.230_スケジュール(再校)02

17時15分の退社まで、集中して仕事。退社後はお迎え、食事、寝かしつけとやるべきことが多く、ゆっくりする時間もない。それでも、仕事と子育ての両方があるからこそ、どちらも頑張れる。オンオフの切り替えが、生活にメリハリを与えてくれる。

 

取材・文/森下裕美子 撮影/滑 恵介

<前編>エノテカ株式会社

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今回の取材先 エノテカ株式会社
フランス、イタリア、スペインなどのヨーロッパをはじめ、南米、オセアニア、南アフリカなど、世界各国から約3000種類ものワインを輸入・販売するワイン専門商社。ワイナリーから直接ワインを買い付けて輸入し、自社で展開するワインショップでの「小売」、百貨店やコンビニ・スーパーへの「卸売」、インターネットでの「通販」という3つのチャネルを使い、高品質なワインを提供している。
いしだ・あつこ●商品部 課長。DUAD(ボルドー大学醸造学部公認ワインテイスター)。神奈川県出身。39歳。法政大学社会学部社会政策科学科卒業。2002年入社。現在、夫と9歳の息子、1歳の娘と4人暮らし。写真は、社内メンバーと業務について打ち合わせをしている様子。

フランス・ボルドー、ブルゴーニュを中心に生産者からのワインの買い付けを担当している石田さん。ワインの専門商社への就職を決めた理由、キャリアの大きなターニングポイントとなったフランス留学などについて、話をうかがいました。

イタリアに留学し、日常の中に当たり前にあるワインの存在に魅了された

-就職活動時、大切にしていた企業選びの軸はありましたか?

大学1~2年生のころから海外への憧れが強く、「語学を生かしたい」「海外とかかわる仕事がしたい」という思いはありました。「食やワインを扱いたい」と明確に思うようになったきっかけは、大学3年の時に行ったイタリアへの1年間の交換留学。イタリアでは、毎日の食卓にワインは欠かせないもので、学生同士でも「食事の前に一杯飲む」ことがごく当たり前の日常でした。家族や仲間とお酒を楽しむことが大好きな父から、お酒の楽しさを留学前から教わっていたので、イタリアの豊かな食文化に触れ、ワインを扱う仕事に就きたいと漠然と思うようになったんです。

 

留学を終えて6月に帰国すると、新卒採用はすでに落ち着いた時期だったので、興味のある企業一社一社に連絡して「新卒採用はまだやっていますか?」と確認しながら進めていきました。就活時期を逃したことで門戸は狭まったかもしれませんが、「新卒採用の受付は終了しました」という企業と、「いい人がいればいつでも採用します」という企業とで対応がまったく異なり、結果的に、柔軟な対応をする企業を見極めることができました。
エノテカは問い合わせ後にすぐに選考の機会を設けてくれ、その後3回の面接の最後は社長面接。すぐにトップが出てくることに風通しのよさを感じ、ここで働きたいと思いました。

 

店舗での接客業務を通じてワインの基本知識を吸収していった

-入社後の仕事内容を教えてください。

入社後は、内定者アルバイトをしていた横浜の百貨店の中のワインショップにそのまま配属され、接客業からスタート。今でも、「エノテカの基本は小売業」という社長の考えの下、新入社員は皆店舗に配属され業務経験を積んでいきます。店舗には7人の先輩がいましたが、手取り足取り教えてもらうというより、自分なりにやってみてわからないことがあれば聞きに行くというスタイル。ワインがたくさん入った段ボールを渡され「品出し(商品を陳列)して」と仕事を任されたこともありました。まずはワインがどういうルールで陳列されているかを調べ、産地ごとに北から南に並べられているとわかったら、ワインのラベルを一つひとつ確認しながら棚に並べていきます。ただ、ボトルを見てすぐに産地がわかるほど知識はないので、ものすごく時間がかかります。「遅い!」と怒られながら、必死に手を動かしていくうちに、エノテカがどういうワインを扱っているのかを少しずつ学んでいきました。先輩も、みんなワインが大好き。わからないことを聞けば細かな豆知識までとても丁寧に教えてくれます。店舗で試飲を出している先輩からはワインの開け方や値段の付け方を教えてもらうなど、情報を吸収するのに必死でした。

 

1年目の10月からは広報企画室に異動し、販売サポート業務を担当しました。店舗でのイベントの企画のお手伝いやメディア向けの広報業務を行うほか、年に数回、海外の生産者をゲストに招いた店舗内イベントを開き、そのアテンドもしていました。生産者の方と直接話す機会が増えたことで、「ワインについてもっと深い知識をつけたい」という思いはいっそう強くなりました。

 

果てしない年月をかけて造られるワインの貴重さを実感した

-キャリアのターニングポイントとなった出来事は何ですか?

入社3年目の冬にエノテカをいったん退職し、ワーキングホリデー制度(※)を利用してフランス留学をしたことです。当時、広報の仕事の一環で、フランス北西部にあるボルドーのシャトー(格付けされたワイン農家、醸造所)の方々に出会い、彼らが話しているワインの専門的な内容を理解できない自分にもどかしさを感じていました。ワイン製造のプロセスについてもっと知識があれば、フランス語が理解できれば、シャトーの方々の貴重な話を聞けるのにという思いが膨らみ、生産地・ボルドーで1年間過ごし、ワイン造りをこの目で見て学んでこようと考えたのです。

 

また、将来はワインのバイヤー(買い付け担当)になりたいという思いもありました。ワインの生産者に最も近いところで働けるのはバイヤーであり、生産者のメッセージを伝えられる仕事に魅力を感じていました。エノテカの買い付けは、廣瀬社長(当時。現在は会長)以下、ベテランの数名が担当していたので、そこに入るには圧倒的に知識と経験が足りないという認識もあったと思います。

(※)2国間の協定に基づいて、18〜30歳(国によって異なる)を対象に、異なった文化(相手国)の中で生活しながら、その間の滞在資金を補うために一定の就労をすることを認める制度。

 

-フランスではどんな就労経験をしたのですか?

当初は、どこかのワイナリーで醸造に携わりたいと思っていました。しかし、たまたま広報企画室のイベントで出会ったボルドーの生産者の方に、「会社を辞めてフランスに行く」と話をしていたところ「1年間うちで働かないか?」と夢のようなオファーを受けたんです。その方は「ラトゥール」というフランス・ボルドーにある世界的にも有名なシャトーの社長。仕事内容は、ワイナリーを訪れるお客さまのご案内対応をする、日本市場の調査、ホームページなどの翻訳をする、というものでした。ワイン好きな日本人が多く訪れるのに、英語やフランス語で一生懸命説明しても伝わらない、それをどうにかしてほしいと言うのです。醸造工程からテイスティングまでのツアー案内をすることは、ワイン製造の知識を深めるまたとない機会です。そのオファーを喜んで受け、フランスで数カ月語学学校に通ってから、ラトゥールでの仕事を始めました。

 

-フランスでの経験を経て、変わったことは何ですか?

ワイン生産者たちへ、心から尊敬の念を抱くようになりました。ワインとは、何百年という歴史の中で次の世代へと技術を継承しながら、日々自然と向き合い地道に造り上げてきたもの。急にできるものではないし、短いスパンで変えられるものでもありません。果てしない時間をかけてできたワイン一本一本が貴重で、ちゃんと向き合わなくちゃいけない。「この産地のワインが好き、あの産地のものは好きじゃない」などと軽々しく批評できるほど浅いものではないと、自分自身の意識が変わりましたね。

 

あれから10年以上たった今も、ラトゥールの社長とは買い付けの場や日本で、年に1~2回顔を合わせます。彼は私の師匠であり、お会いする前には「今の自分は堂々と会えるだけ成長しているだろうか」と身が引き締まります。

 

石田さんの入社後のキャリアグラフ

これまでご紹介した石田さんの社会人1年目からのキャリア、現在に至るまでのプライベートにおける「心の充実度」の変化を、ご自身にグラフにしていただきました。

キャリアグラフ_vol.231_エノテカ02

フランス留学では、ラトゥールでの勤務前に2カ月間語学学校に通った。学生時代にイタリア語に触れていたため、語源が同じのフランス語は学びやすかったという。

 

後編では、フランスから帰国して、エノテカに復職し現在までのキャリアについて、産休・育休を経た現在の働き方について話をうかがいます。

→次回へ続く

(後編 2月16日更新予定)

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

<後編>エノテカ株式会社

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今回の取材先 エノテカ株式会社
フランス、イタリア、スペインなどのヨーロッパをはじめ、南米、オセアニア、南アフリカなど、世界各国から約3000種類ものワインを輸入・販売するワイン専門商社。ワイナリーから直接ワインを買い付けて輸入し自社で展開するワインショップでの「小売」、百貨店やコンビニ・スーパーへの「卸売」、インターネットでの「通販」という3つのチャネルを使い、高品質なワインを提供している。
いしだ・あつこ●商品部 課長。DUAD(ボルドー大学醸造学部公認ワインテイスター)。神奈川県出身。39歳。法政大学社会学部社会政策科学科卒業。2002年入社。現在、夫と9歳の息子、1歳の娘と4人暮らし。

フランスから帰国後に復職。2度の産休・育休を取得し、職場復帰した石田さん。現在の仕事観や業務内容について話をうかがいました。

ボルドー大学で醸造学を学んでから帰国し、エノテカに復職

-フランス留学を経て帰国。その後のキャリアについて教えてください。

ワーキングホリデーを終えたあと、実はさらに1年間、ボルドー大学の醸造学部で醸造とテイスティングを学んだんです。エノテカの廣瀬社長(当時。現在は会長)とはフランス留学中もコンタクトを取っていて「いつでも戻っておいで」と言われていたのですが、さらに大学で勉強したいと伝えたら「まだ学び足りないのか!?」とあきれられました(笑)。ボルドー大学は働きながら学ぶ専門学校のような場だったので、授業は週2日だけ。それ以外の日は、ボルドーでのシャトー訪問ツアーの案内のアルバイトをしながら、さまざまなシャトー(格付けされたワイン農家、醸造所)の知識をつけていきました。

 

社会人6年目に帰国すると、商品部のバイヤー(買い付け担当)メンバーとしてエノテカに復職。その年に、ボルドー大学留学中に出会った夫と結婚、翌年に長男の出産という大きなライフイベントを経て時短勤務で復帰し、今に至るまで、フランスのボルドーをはじめ、ブルゴーニュ、イタリアのピエモンテ担当としてワイナリーを回り、買い付け業務を担当しています。年に数回、1週間ほど出張し、長くお付き合いのある生産者の方を中心に商談を進めます。数年後にできるワインを事前に買い付けることもあり、買うタイミングと売るタイミングが異なることで為替が変動するなど的確な判断はとても難しい。ビンテージ商品や新しいブレンド商品などその年ごとに良品をどこまで買い付けるべきか、社長や事業部の方々に相談しながら進めています。「あなたはどう思う?」と意見を求められることが多い環境なので、常に自分のセンスを磨き続けなくてはいけない。プレッシャーはありますが、年齢や経験に関係なく意見できる職場の雰囲気はとても心地いいですね。

 

家族で話し合いながら、仕事の優先順位、住む場所を決めてきた

-2度の産休・育休を取得して職場復帰されています。仕事と子育ての両立で苦労したことは何ですか?

長男の時は社会人7年目に約8カ月、長女の時は社会人15年目に約1年の産休・育休を取得しました。第1子出産当時、先輩ママは2人しかいなくて、結婚・妊娠で退職する方がほとんどでした。でも、フランスでは女性が働き続けるのが当たり前。その文化に触れていたので、仕事を続けることに迷いはありませんでした。

 

苦労したことは、夫と1つ違いの同世代であるため、会社で大きな仕事を任されるタイミングが重なりがちだったこと。「事業立ち上げのプロジェクトに携わりたい」「この時期は踏ん張って成果を残したい」と、夫婦で同時期に仕事のウエートが大きくなることも。2013年から約1年半、夫の転職についていって大阪で暮らしたこともありました。その時は、私の仕事の進め方を会社と相談しながら変えて、同じ商品部での仕事を大阪営業所でやらせてもらうことになりました。その後、息子が小学校に入学するタイミングで、私の両親が住む横浜市内に引っ越すなど、家族3人で「どこでどう仕事をしたいか」「どこの小学校に通いたいか」を話し合って決めてきました。

 

去年娘が生まれ、保育園の送り迎えも加わっててんやわんや。そんな中、海外出張で1週間家を空けることが数カ月に1度のペースであるので、夫や両親と「娘の保育園の送り迎え」「息子の習い事の送り迎え」「夕ご飯作り」など育児のシフト表を作っています。息子が通う学童保育には信頼のおけるママ友・パパ友が多く、習い事の迎えをお願いするなどと地域全体にも支えられています。

 

9歳の息子は、妹の面倒を見てくれるなどかなり頼もしい存在。だからこそ、いい意味で子ども扱いせずに、私が海外に行ってどんな仕事をしているのか、どうして1週間もいなくなるのかなど夫と一緒に丁寧に説明するようにしています。

 

生産者は対等なパートナー。顔が見える取り引きを大切にしたい

-この仕事をやっていてよかったと思う瞬間は?

生産者の方から「自分たちのワインをエノテカに売ってよかった」と言っていただける時。信頼関係を築けた瞬間はとてもうれしいですね。

 

買い付けの仕事は、人と人とのつながりで成り立っています。だからこそ、謙虚に、でもしっかりと自分の意見を伝えるというバランスを大切にしています。生産者の方を心から尊敬しているけれど、できないことはできないと言う。そんな人間味のあるぶつかり合いができるからこそ、対等なパートナーとして長く関係が築けているのだと思います。

 

また、スピーディーに密なコミュニケーションを取るように、受け取った確認のメール、進捗状況を伝えるメールなど、ビジネスマナーの基本は徹底しています。

 
-今後実現したいことは何ですか?

エノテカを世界一にすることです。世界一というのは輸入量や売上額などではなく、「質のいい、厳選されたワインを扱っている商社」として、世界からナンバーワンと認められること。「エノテカはいいワインばかり仕入れている」と言われたいですし、その陰の立役者でいたいと思っています。

 

私は、自分の仕事を「バイヤー」というより、「生産者のメッセンジャー」であると考えています。売ってあげる、買ってあげる存在では決してなく、生産者のパートナーとして長い時間をかけて造られたワインを扱い、世の中に紹介していくという役割を担っています。ヨーロッパのワイナリーは特に、売る相手の顔が見える取引を大切にしています。「あなたたちがいるから、うちのワインを売りたい」と言っていただける関係性を築けることが、私の仕事の軸であり、それを会長や先輩方が大切にしてきたからこそ、エノテカの今があると思っています。

 

2017年春、娘が生後6カ月の時に家族でギリシャ旅行に行った。家族との時間は、心がほぐれる大切なひととき。

 

ある一日のスケジュール

スケジュール_Vol.232_エノテカ9時~17時の時短勤務を取っている。夫は勤務時間が流動的なホテル勤務なため、スケジュールの調整をこまめにやりとりしながら子育てを分担。娘の朝の送りは夫が担当している。

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

<前編>富士通株式会社

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今回の取材先 富士通株式会社
ICT(Information and Communication Technology:情報通信技術)分野において、最先端かつ高性能のテクノロジーを持つ富士通グループ。品質の高いプロダクト、電子デバイスなどを活用した各種サービス(通信システム、情報処理システムなど)を提供しています。
はせべ・みな●社会インフラビジネスグループ 第三システム事業本部 第二システム事業部。福岡県出身。36歳。大阪外国語大学(現・大阪大学)外国語学部国際文化学科卒業。2004年入社。現在、夫と5歳の息子、2歳の娘と4人暮らし。写真は、社内メンバーと業務について打ち合わせをしている様子。

官公庁向けの大規模システム開発、保守業務を担当している長谷部さん。入社を決めたモノづくりへの思いや、ターニングポイントとなった仕事について、話をうかがいました。

設計した通りに動く、モノづくりの面白さを知った大学時代

-就職活動時、大切にしていた企業選びの軸はありましたか?

大学1年のときに受けたプログラミングの授業でモノづくりの面白さを知り、IT業界に進みたいと思うようになりました。特に大きなきっかけは、所属していたテニスサークルのホームページを自らの手で作り上げたこと。授業で習った程度の知識しかなかったので、独学でプログラミングについて勉強しながら作ったものが実際に稼働し、友人たちが喜んで使ってくれる。そのうれしさを仕事でも味わいたいと思ったんです。

 

大学3年の夏には、富士通の2週間のインターンシップに参加し、開発部門の社員の方の業務をサポートしながら、仕事のイメージを具体的にしていきました。富士通は、官公庁から民間企業まで幅広いお客さまと大規模な案件を多く進めており、SE(システムエンジニア)として経験できる業務の範囲が広いことが、入社の決め手になりました。

 

2年目に全国のお客さま先を回り、エンドユーザーの声に触れた

-入社後の仕事内容を教えてください。

入社後、3カ月の研修期間を経て、7月に官公庁システム事業本部(現・第三システム事業本部)に配属されました。富士通のSEは、受注先のプロジェクト全体の指揮をとるPM(プロジェクトマネージャー)(※)を目指してキャリアを積む人が多いですが、最初の1~2年は「モノづくり(プログラム開発)をしっかり学ぶ期間」とされています。そこで、1年目は、官公庁さま向けの情報検索システムの開発プロジェクトに携わり、開発業務を担当。開発のプロであるパートナー企業の先輩からプログラミングの基本を学びながら、1年かけてシステムの設計、開発、テスト、リリースまで一通り経験。学ぶべきことが多く、当時私が携わったのはシステム開発のごく一部でしたが、「設計した通りに動く」という面白さに夢中になりました。

 

2年目には、その新しいシステムの導入を全国のお客さま先で提案する業務を担当。それまで先輩の指示のもと動いていたところから一人で全国を回るようになり、自分で考え行動する力を鍛えられました。導入が決まると、システム導入を行う作業員さんを指示し、リリース当日も立ち会います。自分が携わったシステムが実際に導入され、システム利用者の方々が、必要とする情報を集めていく。エンドユーザー(商品・サービスを実際に使う人)であるみなさんから「この使い方を教えて」と相談されたり、「検索しやすくなったね」と声をかけられたりと、やってきたことが具体的に役立っていると実感してうれしくなりました。

 

(※)システム開発の責任者として、プロジェクトの企画、開発からリリースまでの予算や工数の決定、人員計画の策定など、遂行のためにあらゆる準備・調達を行う。

 

プロジェクトを指揮する立場になり、密な情報共有の大切さを知った

-キャリアのターニングポイントとなった出来事は何ですか?

全国のお客さま先にシステムを導入した後、入社3年目に保守対応のリーダーとして約20人の保守メンバーをまとめた経験です。パートナー企業の保守運用のプロフェッショナルのみなさんはほとんどが年上のベテラン。経験の浅い私が指示を出すなんて…という引け目を感じることが多く、最初は戸惑いが大きかったです。でも、全国のお客さまからは「朝からシステムが立ち上がらない」などさまざまなトラブル対応の要望が入ってきます。私がリーダーとしてできることは、現場で何が起きているかを正確に理解し、保守担当にすばやく共有すること。詳細な情報伝達と迅速な状況把握を徹底したことで、実際に保守運用作業を行うメンバーもやるべきことがすぐわかるようになり、チームが一丸となってトラブルに対応できる場面が増えました。

 

入社4年目からは、4年間かけて、私が担当していた情報検索システムも含め、全国のお客さま先へ導入しているシステムを統合・刷新する大規模システムの開発に携わりました。私は情報検索システム部分のPMとして、設計、開発、テスト、リリースまでの全体の進行管理を担当。それまで全国で統一されていなかったシステムを一つにまとめ、より幅広い情報を検索できる仕組みを作ることになりました。全国の仕様が異なるシステムを統合し、また、他の関連システムとの整合性をとるための関係者との調整作業はより煩雑に…。毎日、お客さまやプロジェクトメンバーとやりとりをしながら、実際にリリースしてシステムが無事動いたときの喜びは、とても大きかったですね。

 

3年目の保守業務も、4~7年目の大規模システムの開発も、私にはわからない専門領域がたくさんありました。わからないことはすぐに聞きに行き、細かな情報もすぐに共有するという姿勢で取り組んだことで、プロジェクトを前に進めることができたと思っています。

 

長谷部さんの入社後のキャリアグラフ

これまでご紹介した長谷部さんの社会人1年目からのキャリア、現在に至るまでのプライベートにおける「心の充実度」の変化を、ご自身にグラフにしていただきました。

2年目には一人で外回り、3年目にはチームリーダーなど、若いうちからどんどん仕事を任せる社風。「自分でやるしかない」という環境が成長につながった。

 

後編では、産休・育休を経た現在の働き方について話をうかがいます。

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→次回へ続く

(後編 3月16日更新予定)

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

<後編>富士通株式会社

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今回の取材先 富士通株式会社
ICT(Information and Communication Technology:情報通信技術)分野において、最先端かつ高性能のテクノロジーを持つ富士通グループ。品質の高いプロダクト、電子デバイスなどを活用した各種サービス(通信システム、情報処理システムなど)を提供しています。
はせべ・みな●社会インフラビジネスグループ 第三システム事業本部 第二システム事業部。福岡県出身。36歳。大阪外国語大学(現・大阪大学)外国語学部国際文化学科卒業。2004年入社。現在、夫と5歳の息子、2歳の娘と4人暮らし。

2度の産休・育休を取得し、職場復帰した長谷部さん。現在の仕事観や業務内容について話をうかがいました。

やりたいけれどできない、葛藤した時期もあった

-入社8年目、4年間かけた大規模システム開発を無事リリースしたあとに結婚、妊娠。ライフイベントによって、仕事観に変化はありましたか。

大規模システム開発に携わっていた4年間は、仕事にひたすら没頭していて、プライベートを充実させる余裕はまったくありませんでした。当時、付き合っていた夫にも「リリースまではやりきりたい」と結婚を待ってもらったくらい。プロジェクトが落ち着いたタイミングで結婚し、妊娠がわかりました。

 

ライフイベントの有無にかかわらず、「ちょっと働き過ぎているから、プロジェクトを終えたら仕事をセーブしよう」と上司とも話し合い、産休・育休に入るまでの1年間は、PM(プロジェクトマネージャー)から離れ、現場の支援部隊に回ることになりました。システムのリリース後の保守にかかわるメンバーは、パートナー企業を含めて100人以上いるので、会議体の設定、資料の作成方法など、業務を円滑に進める上で細かなルールを決めていかなければいけません。そのルール作りをはじめ社内の調整業務を担当していたのですが、「仕事をセーブしようと決めたものの、やっぱりPMの仕事がやりたい」という葛藤はすごくありましたね。妊娠もしていて身体を酷使することはできないのだけれど、慌ただしく保守業務をやっている周りのメンバーが楽しそうで、うらやましく思ってしまう。産休・育休をとって完全に仕事から離れるまでは、「やりたいけれどできない」もどかしさと闘っていました。

 

-産休・育休を経てから現在の働き方について教えてください。

長男のときに1年間、長女のときに2年間の産休・育休を取得しました。2度目の産休だった長女のときは、復帰しようと考えていた年に認可保育園に落ちてしまい、図らずも2年間仕事から離れることに…。「来年も落ちたらどうしよう」という焦りはありましたが、最大約2年間とれる育休制度を使わせていただいて子どもとじっくり向き合う時間にしようと切り替えて、子育てを楽しんでいました。
一度目の復帰後は、育休前に携わっていたシステムの保守運用の提案書作成業務を担当。システム導入後の保守運用をどの企業が担当するかは、入札(※)によって決まるため、富士通がどんな保守業務を行っていくか、提案書を作成する必要があります。約1年間かけて約1000ページ(A4)の提案書をまとめ、無事契約を結ぶことができました。

 

現在は、同システムの次なる刷新に向けた提案書作成を担当しています。ありがたいのは、1年、2年と仕事を離れても、復帰したときにブランクを感じさせない環境があること。一貫して同じシステムに携わっているので、周りのメンバーもずっと一緒にやってきた仲間という安心感があります。提案業務は自分のペースで仕事を進められるため、16時半までの時短勤務をしている今は、とても働きやすいです。復帰してからは、一日の時間の使い方を決めてから仕事を始めるなど、効率的に働けるように細かくスケジュールを組み立てるようになりました。

 

(※)売買契約などでもっとも有利な条件を示す者と締結するために、複数の契約希望者に内容や入札金額を書いた文書を提出させて、内容や金額から契約者を決める方法。

 

チーム一丸となってプロジェクトを進めていくPMにまたチャレンジしたい

-今後実現したいことは何ですか?

いずれは、PMとしてお客さま対応を行う現場に戻りたいという気持ちはあります。システム開発のプロジェクトの面白さは、チームで一緒に課題に取り組んでいくところにあります。信頼できるメンバーと改善策を話し合いながら、プロジェクトを前に進めていくプロセスがとても好きなんです。子育てがひと段落したらまた戻れるように、今任されている業務で力をつけていきたいですね。

 

また、事業部内で産休・育休を取得して復帰したのは私が第1号なので、上司からは「子育てと仕事との両立の工夫」について、自分なりのノウハウやコツを共有してほしいといつも言われています。まだまだ言語化できていないので、後輩のためにも共有の場やコミュニケーションを取る機会を設けたいなと思っています。

 

息子の七五三。気づけばもう5歳。休日は子どもと過ごす時間を大切にしている。

 

ある一日のスケジュール

後_スケジュール
子どもとの時間を大切にするために、平日の家事はできるだけ簡単に済ませるようにしている。子育てを始めた当初は、食事も「品数を揃えるなど、しっかり食べさせたい」と思っていたが、「簡単なものでもみんなで食べられたらそれで幸せ」と考えるようになった。心に余裕ができ、仕事との両立も楽になったという。

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

<前編>株式会社千葉銀行

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今回の取材先 株式会社千葉銀行
持続的な成長が期待される千葉県を主な地盤とした、地域の総合金融サービスグループ「ちばぎん」。顧客ニーズにスピーディーに対応する質の高い金融サービスの提供により、千葉県の発展に貢献しています。
きたがわ・ゆきこ●千葉県出身。33歳。お茶の水女子大学文教育学部人間社会科学科卒業。2006年入行。現在、夫と7歳の長男、4歳の次男と4人暮らし。写真は、お客さまへ金融サービスのご案内をしている様子。

渉外担当(法人)として、事業性資金やビジネスマッチングの提案などを手がける北川さん。前編では、会社選びの軸や、個人営業として活躍した新人時代ついて話をうかがいました。

人の人生に深くかかわれる仕事に就きたかった

-就職活動時、大切にしていた企業選びの軸はありましたか?

学生時代は、小学校の先生になりたくて教職課程を取っていました。ただ、「ほかの選択肢も見てから決めよう」と考え、就職活動で民間企業も見てみることに。当初は教育系の企業を中心にインターンシップに参加していましたが、仕事選びの軸をあらためて考えたとき「人の成長や、人生のターニングポイントに携われる」ことを重視している自分に気づいたんです。教育という枠にとらわれずに幅広く業界を見ようと視野を広げ、興味を持ったのが銀行でした。住宅を購入する際や老後の資産形成についてのご相談など、人生の節目に深くかかわれる仕事に魅力を感じました。中でも千葉銀行は、支店を訪問した際に感じた応対の温かさ、働いている方の穏やかな雰囲気を感じ、「このような職場なら長く働き続けられる」とイメージできたのが決め手になりました。

 

ローンを組んだあとの人生までを考えて提案していく

-入行後の仕事内容を教えてください。

入行すると、4月から支店でのジョブローテーションと連動させた実践的な研修が始まりました。入行後1年間はジョブローテーションでいろんな仕事を経験し、千葉銀行員としての基礎知識を身につけます。4月から3カ月間は、先輩職員の仕事のサポートや電話応対などを通して社会人としての基礎的なマナーを覚え、できるだけ早く戦力になれるように鍛えられました。最初はお客さまからの簡単な問い合わせにも満足に答えられず、「新入社員さんだよね? 仕事を早く覚えて頑張るんだよ」と励ましの言葉を頂いたこともありました。

 

7月には、住宅ローンにかかわるご提案や各種ローンに関する書類の作成・確認などを行うローンの窓口を担当しました。店頭で取り扱う商品知識を身につけるため、商品パンフレットを自宅に持ち帰り、勉強することもありました。ようやく提案することに自信が持てるようになったのは1年目の秋ごろでした。住宅ローンを組む上では、お客さまの家計状況をよく理解し、返済する上で無理のない計画を提案することが大切です。たとえ住宅ローンを組めたとしても、背伸びしてしまったばかりに返済負担が重く、毎日の生活にしわ寄せがいっては意味がありません。お客さまに適したご提案を考え抜いた結果、「親身になって安心できるプランを考えてくれてありがとう」と言っていただけたときは、とてもうれしく達成感を味わうことができました。

 

「あなただから」という言葉を頂けることが、渉外担当のやりがい

-キャリアのターニングポイントとなった出来事は何ですか?

4年目になり、渉外業務を担当したことです。個人のお客さまに対して住宅ローンや資産運用を提案するなど、個人のお客さまを担当することはこれまでと変わりませんが、渉外担当になると主体的にお客さまとアポイントを取るなど、能動的に活動することができます。住宅ローンについては、地元の不動産会社や大手ハウスメーカーの担当者と信頼関係を築いていくことで、住宅の購入を検討されるお客さまを紹介していただくことができます。信頼関係を構築し続けることで、人脈が広がっていき、お客さまとの接点を多く持てることが私のやりがいになりました。

 

また、資産運用については、退職金などのお振り込みがきっかけでお取引がスタートすることもあります。特に印象に残っているのは、早期退職をされたお客さまです。ご提案の中でも、金融に関することばかりでなく、家族や趣味を含むさまざまなお話ができるまで信頼関係を構築することができました。お客さまが一生懸命に働いて受け取った退職金についてのご提案であり、お客さまのお考えをしっかりとお聞きし、お客さまにとって価値ある情報の提供を継続しました。そうしたご提案がお客さまのお考えと合致し、お申し込みを頂くことができました。その際に「最終的には北川さんだから信頼してお願いしたいと思えた」という感謝の言葉を頂きました。お客さまから「あなただから」という言葉を頂ける瞬間が何よりもうれしいです。

 

北川さんの入社後のキャリアグラフ

これまでご紹介した北川さんの社会人1年目からのキャリア、現在に至るまでのプライベートにおける「心の充実度」の変化を、ご自身にグラフにしていただきました。

前_235_キャリアグラフ02

いずれ法人営業にチャレンジしたいという思いがあり、4年目に、業務幅が限定された「特定総合職コース」から、転居を伴う異動のある「総合職コース」に転換した(北川さんは、入行当時、特定総合職コースだった。4年目になると全社員がコースを選択できる)。

 

後編では、産休・育休を経た現在の働き方について話をうかがいます。

→次回へ続く

(後編 4 月13日更新予定)

 

取材・文/田中瑠子 撮影/隼田大輔

<後編>株式会社千葉銀行

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今回の取材先 株式会社千葉銀行
持続的な成長が期待される千葉県を主な地盤とした、地域の総合金融サービスグループ「ちばぎん」。顧客ニーズにスピーディーに対応する質の高い金融サービスの提供により、千葉県の発展に貢献しています。
きたがわ・ゆきこ●千葉県出身。33歳。お茶の水女子大学文教育学部人間社会科学科卒業。2006年入行。現在、夫と7歳の長男、4歳の次男と4人暮らし。

2度の産休・育休を取得し、現在は渉外業務(法人)を担当している北川さん。現在の仕事観や業務内容について話をうかがいました。

助け合う職場の風土に支えられている

-入行6年目、9年目に産休・育休を取得。ライフイベントを経て、仕事観に変化はありましたか。

職場を離れたことであらためて、「仕事が好きだな」と実感しました。そして、長く働いていくために、担当できる業務の幅を広げ、もっと会社に貢献できる存在になりたいと思うようになりました。そうした中で、法人のお客さまに対して、事業性資金やビジネスマッチングの提案を行う渉外業務(法人)に挑戦したいという気持ちが強くなっていきました。

 

1回目の産休・育休は1年間、2回目は10カ月間お休みを頂きましたが、休業中も通信講座などを利用して、仕事から離れすぎてしまわないよう心がけていました。また、業務上の大きな変更があった際には、リモートでキャッチアップできるような仕組みがあり、ブランクをさほど感じずに復帰することができました。育児休業中も所属店へ定期的に顔を出していたので、復帰する際はスムーズに職場に溶け込むことができました。

 

また、千葉銀行には「誰でもできる仕事はみんなでやろう」という助け合いの意識が強く根付いています。以前、子どもが熱を出してしまい帰らなければならなくなってしまった際にも、上司や同僚がサポートしてくださり、業務に支障が出ることはありませんでした。また、産休・育休制度のほかに、子どもの看護や両親の介護のための休暇制度などもあるほか、保育園延長料金やベビーシッター代の補助制度があったりと、福利厚生も充実していると感じます。

 

事業成長に貢献できる、そんな仕事を増やしていきたい

-現在の仕事内容について教えてください。

2回目の産休・育休から復帰した後、約1年間は事業性融資に関する稟議(りんぎ)書類の作成などを担当しました。そうした経験の中で法人向けのご融資や金融サービスについての基礎知識を身につけることができました。現在は渉外担当(法人)として、主に中堅・中小企業や個人事業主のお客さまを担当し、事業性資金やさまざまな金融商品のご提案、ビジネスマッチングの情報提供などを行っています。

 

すでに千葉銀行とのお取引があるお客さまに対して、事業の拡大に向けたさまざまなご提案をしながら、新たなお客さまを開拓すべく、新規の取引先への訪問も積極的に行っています。数ある銀行の中で、「選ばれる担当者」であり続けるためには何が必要なのか、知恵を絞る毎日です。

 

-渉外業務(法人)の面白さを感じるのは、どんなときでしょうか。

お客さまからの信頼が得られ、新たなお取引が広がる瞬間です。これまでお取引のなかった法人のお客さまへのご融資がきっかけとなり、社長個人の資産運用や従業員の方の住宅ローンに至るまでご提案が広がったこともありました。お金を借りることや金融商品を購入することはどこの金融機関でも可能です。そうした差別化が図りにくい金融業界の中で、どのような価値あるサービスを提供していけば、お客さまから選んでいただけるのか日々考えています。常にお客さまのニーズを先回りしてご提案につなげることで、「北川さんなら、価値ある情報を提供してくれる」と思っていただくことが大切です。そうした信頼関係を構築できたお客さまから「北川さんに頼んで良かった」と言っていただけることが、毎日のモチベーションになっています。
渉外担当(法人)としての経験はまだ浅いので、しっかりと経験を積んでいき、「お客さまの成長に貢献できた」と自信を持って言えるような担当者に成長したいです。

 

2017年1月、家族で近所の温水プールへ。息子2人のエネルギーを発散させるため、休日は一緒に思いっきり体を動かす。

 

ある一日のスケジュール


夫の両親が、自宅から近い距離に住んでいるため、仕事が忙しいときは全面的にサポートをお願いしている。平日の家事は「完璧にできなくても仕方ない」とある程度開き直り、ストレスをためないことが大切だという。

 

取材・文/田中瑠子 撮影/隼田大輔


<後編>株式会社クレディセゾン

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今回の取材先 株式会社クレディセゾン
クレジットカードをはじめ、さまざまなファイナンス事業を展開している株式会社クレディセゾン。業界に先駆け、「年会費無料カード」「サインレス決済」「永久不滅ポイント」などを生み出し、徹底した顧客志向とイノベーティブなサービスを特徴としている。2018年現在、社員の8割近くを女性が占める。2017年9月にはアルバイトを除く全従業員の正社員化に踏み切り、「挑戦する風土」の醸成に取り組む。
くりはし・のぞみ●カード事業部 営業企画部 プロモーション戦略グループ。栃木県出身。35歳。学習院大学文学部日本語日本文学科卒業。2005年入社。現在、夫と6歳の息子と3人暮らし。

入社6年目に1年間の産休・育休を取得し、職場復帰した栗橋さん。「長く働けるように計画的にキャリアを考えるようになった」と話す、現在の仕事観や業務内容について話をうかがいました。

多忙のあまり記憶がない、職場復帰後の“ワンオペ育児”生活

-1年間の産休・育休を経て職場復帰。仕事観は変わりましたか?

職場復帰後は時短勤務でカードカウンター業務に戻りましたが、当時のことは、忙しさのあまり記憶がありません(笑)。結婚を機に帰京し、産休・育休を取得したのは入社6年目。その間、夫も1カ月間の育休を取得し、「家族3人、石垣島で子育てをしよう」という斬新なアイデアにより、息子が1歳になる直前に3人でコテージ暮らしを経験。唯一無二な子育てライフを経て、職場に戻りました。しかし、夫は名古屋に単身赴任中。一人で保育園の送り迎え、食事、入浴、寝かしつけ、あらゆる家事のすべてを担う、いわゆる“ワンオペ育児”(※)が始まりました。「子育てじゃなくて、孤独な“孤育て”だ」と何度思ったかしれません。夫が帰ってくる週末は、平日の疲れがどっと出て、ひたすら寝ていましたね。

 

そんな中でも仕事を続けられたのは、支社の仲間たちのサポートがあったから。息子が熱を出して仕事を抜けなくてはいけないときも「大丈夫、この業務とこの業務をやっておくから」と先回りして動いてくれるメンバーばかりで、気持ちの面で本当に助けてもらいました。元気なときもそうじゃないときも一緒に目標を追ってきた支社の仲間という、存在の大きさを痛感しました。

 

(※)従業員一人がすべての業務を切り盛りする「ワンオペレーション」が語源。育児・家事のすべてが一人に集中することを指す造語。

 

社内横断プロジェクトで新しい取り組みに携わる

-現在の仕事内容について教えてください。

入社8年目から営業企画部配属となり、ホームページやSNSのデザイン設計や更新業務を担当しています。職場復帰後に社内のジョブエントリー制度(社内公募制度)を利用し、ネット事業に異動したいというオファーを出していたんです。「1対1の顧客対応では自分なりのやり方は見出したので、今後は大勢に向けて発信する業務に挑戦したい」というのが私の思いでした。それをくみ取ってもらったのか、Web関連の業務に異動し、取扱高拡大の目的に向けたカード会員さまへの利用促進、顧客満足度を向上させる役割を任されました。Webの知識がまったくなかったので、わからないことがあれば、同僚や先輩、お取引先さまにもすぐに質問して知識を増やしていきました。そのころには夫の単身赴任も終わりフルタイム勤務に戻すなど、精神的に余裕も出てきましたね。

 

入社11年目には、社内横断プロジェクト「ポイント運用サービス」のメンバーに選ばれました。これは、今まで貯めるだけだったセゾンカードの永久不滅ポイントを、投資信託の価格に合わせて運用(投資を疑似体験)できるという画期的な新サービスです。2016年7月に、企画やコンプライアンス(法務)、システム設計、投資の専門家など各分野からメンバーが集まり、プロジェクトがスタート。半年間でリリースまで進めていきました。私はWeb関連の知識に加え、顧客接点の知見があるという点で選ばれましたので、お客さまにとってわかりやすく使いやすいサイト設計・デザインを提案する責任があります。プロジェクトメンバーからさまざまな要望が飛び交う中、何ができて何ができないか、サイトに入れるべき情報と捨てるべき情報は何かを整理していきました。

 

リリースから1年足らずで、約8万人(2017年12月時点)が利用する投資商品としては異例のスピードで拡大し続けるヒットサービスとなり、「投資」という難しいイメージを持たれがちなサービスを、シンプルでわかりやすく伝えられたかなと思っています。

 

このプロジェクトでも、通常業務のホームページやSNS更新業務においても、支社時代の接客経験は非常に役立っています。接客では「この質問をするということは、こんなことに困っているのかな」など、お客さまのニーズを想像しながら選択肢を狭めていきます。サイト設計でも同じように、お客さまが何を求めてサイトを訪れるのかを想像した上で、どこにどんな情報があると手間が少なく目的に行きつけるのかを考えます。やはり、対面でお客さまと接した経験は、財産であり強みだなと実感しますね。

 

長く働くために戦略的なキャリアを描くようになった

-今後実現したいことや、理想とする働き方はありますか?

まずは、Web系の知識をつけて仕事の幅を広げられるように、資格取得に向けて勉強中です。ゆくゆくはマネジメントや経営にも携わりたいですね。

 

子どもが生まれてから「長く働くために、若いうちにどういう経験をしておくべきか」をよく考えるようになりました。自分の時間をすべて仕事に費やせないからこそ、年次が上がることで必要とされる能力は何か、身につけるべきことは何かを逆算して戦略的に動くようになったんです。子どもが小学校に入ったら、学校からの帰宅時間などを考え、時短勤務を取りなおすことも考えています。上司にも「子どもが小学生になるまでは、時間の制約を気にせず仕事がしたいです」と伝え、仕事を任せてくれるようにお願いしました。私を信じて期待を寄せてくれる上司や職場環境に感謝しつつ、どんな働き方をしたいのか、計画的に考えることの大切さを感じています。

 

2017年秋に家族3人で京都旅行へ。2カ月に1度は家族旅行をするほど旅好き。一方で夫と息子2人きりで“父子旅”と称して行く海外旅行もすでに4度目!

 

ある一日のスケジュール

タイムスケジュール_v1_01

家事は、夫が料理、栗橋さんはそれ以外を担当。「一般的な男女が逆転している!?」と思うほど、家事・育児に協力的な夫。「働くことを理解し尊重してくれる夫選びが大事」と笑う。

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

<前編>エノテカ株式会社

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今回の取材先 エノテカ株式会社
フランス、イタリア、スペインなどのヨーロッパをはじめ、南米、オセアニア、南アフリカなど、世界各国から約3000種類ものワインを輸入・販売するワイン専門商社。ワイナリーから直接ワインを買い付けて輸入し、自社で展開するワインショップでの「小売」、百貨店やコンビニ・スーパーへの「卸売」、インターネットでの「通販」という3つのチャネルを使い、高品質なワインを提供している。
いしだ・あつこ●商品部 課長。DUAD(ボルドー大学醸造学部公認ワインテイスター)。神奈川県出身。39歳。法政大学社会学部社会政策科学科卒業。2002年入社。現在、夫と9歳の息子、1歳の娘と4人暮らし。写真は、社内メンバーと業務について打ち合わせをしている様子。

フランス・ボルドー、ブルゴーニュを中心に生産者からのワインの買い付けを担当している石田さん。ワインの専門商社への就職を決めた理由、キャリアの大きなターニングポイントとなったフランス留学などについて、話をうかがいました。

イタリアに留学し、日常の中に当たり前にあるワインの存在に魅了された

-就職活動時、大切にしていた企業選びの軸はありましたか?

大学1~2年生のころから海外への憧れが強く、「語学を生かしたい」「海外とかかわる仕事がしたい」という思いはありました。「食やワインを扱いたい」と明確に思うようになったきっかけは、大学3年の時に行ったイタリアへの1年間の交換留学。イタリアでは、毎日の食卓にワインは欠かせないもので、学生同士でも「食事の前に一杯飲む」ことがごく当たり前の日常でした。家族や仲間とお酒を楽しむことが大好きな父から、お酒の楽しさを留学前から教わっていたので、イタリアの豊かな食文化に触れ、ワインを扱う仕事に就きたいと漠然と思うようになったんです。

 

留学を終えて6月に帰国すると、新卒採用はすでに落ち着いた時期だったので、興味のある企業一社一社に連絡して「新卒採用はまだやっていますか?」と確認しながら進めていきました。就活時期を逃したことで門戸は狭まったかもしれませんが、「新卒採用の受付は終了しました」という企業と、「いい人がいればいつでも採用します」という企業とで対応がまったく異なり、結果的に、柔軟な対応をする企業を見極めることができました。
エノテカは問い合わせ後にすぐに選考の機会を設けてくれ、その後3回の面接の最後は社長面接。すぐにトップが出てくることに風通しのよさを感じ、ここで働きたいと思いました。

 

店舗での接客業務を通じてワインの基本知識を吸収していった

-入社後の仕事内容を教えてください。

入社後は、内定者アルバイトをしていた横浜の百貨店の中のワインショップにそのまま配属され、接客業からスタート。今でも、「エノテカの基本は小売業」という社長の考えの下、新入社員は皆店舗に配属され業務経験を積んでいきます。店舗には7人の先輩がいましたが、手取り足取り教えてもらうというより、自分なりにやってみてわからないことがあれば聞きに行くというスタイル。ワインがたくさん入った段ボールを渡され「品出し(商品を陳列)して」と仕事を任されたこともありました。まずはワインがどういうルールで陳列されているかを調べ、産地ごとに北から南に並べられているとわかったら、ワインのラベルを一つひとつ確認しながら棚に並べていきます。ただ、ボトルを見てすぐに産地がわかるほど知識はないので、ものすごく時間がかかります。「遅い!」と怒られながら、必死に手を動かしていくうちに、エノテカがどういうワインを扱っているのかを少しずつ学んでいきました。先輩も、みんなワインが大好き。わからないことを聞けば細かな豆知識までとても丁寧に教えてくれます。店舗で試飲を出している先輩からはワインの開け方や値段の付け方を教えてもらうなど、情報を吸収するのに必死でした。

 

1年目の10月からは広報企画室に異動し、販売サポート業務を担当しました。店舗でのイベントの企画のお手伝いやメディア向けの広報業務を行うほか、年に数回、海外の生産者をゲストに招いた店舗内イベントを開き、そのアテンドもしていました。生産者の方と直接話す機会が増えたことで、「ワインについてもっと深い知識をつけたい」という思いはいっそう強くなりました。

 

果てしない年月をかけて造られるワインの貴重さを実感した

-キャリアのターニングポイントとなった出来事は何ですか?

入社3年目の冬にエノテカをいったん退職し、ワーキングホリデー制度(※)を利用してフランス留学をしたことです。当時、広報の仕事の一環で、フランス北西部にあるボルドーのシャトー(格付けされたワイン農家、醸造所)の方々に出会い、彼らが話しているワインの専門的な内容を理解できない自分にもどかしさを感じていました。ワイン製造のプロセスについてもっと知識があれば、フランス語が理解できれば、シャトーの方々の貴重な話を聞けるのにという思いが膨らみ、生産地・ボルドーで1年間過ごし、ワイン造りをこの目で見て学んでこようと考えたのです。

 

また、将来はワインのバイヤー(買い付け担当)になりたいという思いもありました。ワインの生産者に最も近いところで働けるのはバイヤーであり、生産者のメッセージを伝えられる仕事に魅力を感じていました。エノテカの買い付けは、廣瀬社長(当時。現在は会長)以下、ベテランの数名が担当していたので、そこに入るには圧倒的に知識と経験が足りないという認識もあったと思います。

(※)2国間の協定に基づいて、18〜30歳(国によって異なる)を対象に、異なった文化(相手国)の中で生活しながら、その間の滞在資金を補うために一定の就労をすることを認める制度。

 

-フランスではどんな就労経験をしたのですか?

当初は、どこかのワイナリーで醸造に携わりたいと思っていました。しかし、たまたま広報企画室のイベントで出会ったボルドーの生産者の方に、「会社を辞めてフランスに行く」と話をしていたところ「1年間うちで働かないか?」と夢のようなオファーを受けたんです。その方は「ラトゥール」というフランス・ボルドーにある世界的にも有名なシャトーの社長。仕事内容は、ワイナリーを訪れるお客さまのご案内対応をする、日本市場の調査、ホームページなどの翻訳をする、というものでした。ワイン好きな日本人が多く訪れるのに、英語やフランス語で一生懸命説明しても伝わらない、それをどうにかしてほしいと言うのです。醸造工程からテイスティングまでのツアー案内をすることは、ワイン製造の知識を深めるまたとない機会です。そのオファーを喜んで受け、フランスで数カ月語学学校に通ってから、ラトゥールでの仕事を始めました。

 

-フランスでの経験を経て、変わったことは何ですか?

ワイン生産者たちへ、心から尊敬の念を抱くようになりました。ワインとは、何百年という歴史の中で次の世代へと技術を継承しながら、日々自然と向き合い地道に造り上げてきたもの。急にできるものではないし、短いスパンで変えられるものでもありません。果てしない時間をかけてできたワイン一本一本が貴重で、ちゃんと向き合わなくちゃいけない。「この産地のワインが好き、あの産地のものは好きじゃない」などと軽々しく批評できるほど浅いものではないと、自分自身の意識が変わりましたね。

 

あれから10年以上たった今も、ラトゥールの社長とは買い付けの場や日本で、年に1~2回顔を合わせます。彼は私の師匠であり、お会いする前には「今の自分は堂々と会えるだけ成長しているだろうか」と身が引き締まります。

 

石田さんの入社後のキャリアグラフ

これまでご紹介した石田さんの社会人1年目からのキャリア、現在に至るまでのプライベートにおける「心の充実度」の変化を、ご自身にグラフにしていただきました。

キャリアグラフ_vol.231_エノテカ02

フランス留学では、ラトゥールでの勤務前に2カ月間語学学校に通った。学生時代にイタリア語に触れていたため、語源が同じのフランス語は学びやすかったという。

 

後編では、フランスから帰国して、エノテカに復職し現在までのキャリアについて、産休・育休を経た現在の働き方について話をうかがいます。

→次回へ続く

(後編 2月16日更新予定)

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

三菱電機エンジニアリング株式会社 桑田さん(入社13年目・福山事業所事業推進部電子機器開発課開発グループ)|後編【先輩たちのワーク&ライフ】

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今回の取材先 三菱電機エンジニアリング株式会社
総合電機メーカーである三菱電機の開発・設計を担うパートナー企業。生活に身近な家電から宇宙開発に至るまで、社会や産業のさまざまなシーンで活躍する製品・システムづくりを、設計開発のプロ集団として支えている。蓄積した高度な技術力をベースに、独自のアイデアで創出した製品も社会に提案している。
くわだ・ゆきな●35歳。福山事業所事業推進部電子機器開発課開発グループ。広島県出身。愛媛大学工学部卒業。2006年に現在の会社に入社。夫と2人の子どもの4人暮らし。

1人目の出産後、電力を監視する機器の設計者として復職した桑田さん。前編では入社のきっかけと初めての出産から復帰後を中心にお話をうかがいました。後編では現在の仕事とプライベートの両立、今後のキャリアビジョンについてお話しいただきます。

2人目の育休後に復帰し、復職前の仕事量をこなす

-2人目の出産後の産休、育休でキャリアが再び中断する不安はありましたか?

長男の時は、仕事に戻りたいという思いを持ちつつも、約2年間の子育て中心の生活がとても楽しかったです。2人目も同じだろうと思っていたら、仕事に戻りたい、早く働きたいと考えるようになってしまいました。子育てにも慣れ、余裕があったこともあり、保育所に入れるタイミングで予定より少し早く復帰しました。

復職にあたり、当面はほかの人のサポートから徐々にと言われましたが、実際には出産前と同じ業務を担当することに。子どもの保育園のお迎えがあるので、残業分も含めた業務量を定時までに終わらせるという急発進の復帰になりました。もちろんハードでしたが、納期通りにできた時の達成感は大きかったです。やればできるもので、自身の裁量で段取りや仕事の進め方を考え、効率的に仕事を進めることができました。

-2人の子育てと仕事との両立で特に苦労したことや大変だったことは?

やはり、子どもが病気になると必然的に仕事を休まなければならないので、大変です。ただ単身赴任から戻ってきた夫が家事や育児に協力的で、朝は子どもを起こして着替えさせ、食器片づけ、ゴミ出しなどもやってくれるのでとても助かっています。子どもの病気のときは、夫が半分休みを取ってくれることも。お互いできることをやろう、というのが私たち夫婦の形です。2015年に夫が単身赴任から帰ってきた時は、張り詰めていた気持ちが楽になり、時間的なゆとりも生まれました。余裕がなく追いつめられていた時期を抜け出し、仕事も家庭もバランスよく進むようになりました。

充実した両立支援制度をフル活用して仕事と育児を両立

-現在、担当されている仕事について教えてください。

電力管理用計器の量産設計に携わっています。量産設計には、部品の仕様変更に対応した設計など安定した製造を続けるための維持設計と損益改善を目的とした原価低減設計があり、私はその両方を担当。通常、部品の仕様変更については原価が上がる傾向にありますが、その中でも製品の機能を維持しながら原価低減につながると会社に貢献できたと実感することができます。何より、机上で行った設計を図面にして試作し狙い通りの動きをしたときや、製造ラインで組み立てされて納品できたときはものづくりに携わる手応えを感じました。

-仕事と育児とを両立するために、どのような社内制度を利用しましたか?

制度を利用する立場になって、充実した両立支援制度があることを実感しました。産休、育休はもちろん、妊娠期間中は就業時間内に通院ができる制度や、子どもが3歳までは残業が免除される制度などがありました。さらに、現在は保育所に入れない場合に育休を2歳の3月末まで延長できるようになるなど、制度がより良くなっています。もちろん、男性も制度を利用することができ、私の働いている事業所では男性の育休取得者もいます。子どもを持っても長く働き続けてほしいという、会社の思いを感じます。

-今後の目標を教えてください。

管理職を目指して現場から離れるのではなく、一技術者としてずっとものづくりに携わっていきたいと思っています。まだまだ目先のことに追われていますが、日々の業務をコツコツやり少しでも知識や経験を増やし技術者として成長し続けることが今の私の目標です。

写真館で撮影した家族写真。週末は子どもの時間を大切にしている。

ある一日のスケジュール

vol.230_スケジュール(再校)02

17時15分の退社まで、集中して仕事。退社後はお迎え、食事、寝かしつけとやるべきことが多く、ゆっくりする時間もない。それでも、仕事と子育ての両方があるからこそ、どちらも頑張れる。オンオフの切り替えが、生活にメリハリを与えてくれる。

取材・文/森下裕美子 撮影/滑 恵介

株式会社千葉銀行 北川さん(入社13年目・渉外担当)|前編【先輩たちのワーク&ライフ】

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今回の取材先 株式会社千葉銀行
持続的な成長が期待される千葉県を主な地盤とした、地域の総合金融サービスグループ「ちばぎん」。顧客ニーズにスピーディーに対応する質の高い金融サービスの提供により、千葉県の発展に貢献しています。
きたがわ・ゆきこ●千葉県出身。33歳。お茶の水女子大学文教育学部人間社会科学科卒業。2006年入行。現在、夫と7歳の長男、4歳の次男と4人暮らし。写真は、お客さまへ金融サービスのご案内をしている様子。

渉外担当(法人)として、事業性資金やビジネスマッチングの提案などを手がける北川さん。前編では、会社選びの軸や、個人営業として活躍した新人時代ついて話をうかがいました。

人の人生に深くかかわれる仕事に就きたかった

-就職活動時、大切にしていた企業選びの軸はありましたか?

学生時代は、小学校の先生になりたくて教職課程を取っていました。ただ、「ほかの選択肢も見てから決めよう」と考え、就職活動で民間企業も見てみることに。当初は教育系の企業を中心にインターンシップに参加していましたが、仕事選びの軸をあらためて考えたとき「人の成長や、人生のターニングポイントに携われる」ことを重視している自分に気づいたんです。教育という枠にとらわれずに幅広く業界を見ようと視野を広げ、興味を持ったのが銀行でした。住宅を購入する際や老後の資産形成についてのご相談など、人生の節目に深くかかわれる仕事に魅力を感じました。中でも千葉銀行は、支店を訪問した際に感じた応対の温かさ、働いている方の穏やかな雰囲気を感じ、「このような職場なら長く働き続けられる」とイメージできたのが決め手になりました。

ローンを組んだあとの人生までを考えて提案していく

-入行後の仕事内容を教えてください。

入行すると、4月から支店でのジョブローテーションと連動させた実践的な研修が始まりました。入行後1年間はジョブローテーションでいろんな仕事を経験し、千葉銀行員としての基礎知識を身につけます。4月から3カ月間は、先輩職員の仕事のサポートや電話応対などを通して社会人としての基礎的なマナーを覚え、できるだけ早く戦力になれるように鍛えられました。最初はお客さまからの簡単な問い合わせにも満足に答えられず、「新入社員さんだよね? 仕事を早く覚えて頑張るんだよ」と励ましの言葉を頂いたこともありました。

7月には、住宅ローンにかかわるご提案や各種ローンに関する書類の作成・確認などを行うローンの窓口を担当しました。店頭で取り扱う商品知識を身につけるため、商品パンフレットを自宅に持ち帰り、勉強することもありました。ようやく提案することに自信が持てるようになったのは1年目の秋ごろでした。住宅ローンを組む上では、お客さまの家計状況をよく理解し、返済する上で無理のない計画を提案することが大切です。たとえ住宅ローンを組めたとしても、背伸びしてしまったばかりに返済負担が重く、毎日の生活にしわ寄せがいっては意味がありません。お客さまに適したご提案を考え抜いた結果、「親身になって安心できるプランを考えてくれてありがとう」と言っていただけたときは、とてもうれしく達成感を味わうことができました。

「あなただから」という言葉を頂けることが、渉外担当のやりがい

-キャリアのターニングポイントとなった出来事は何ですか?

4年目になり、渉外業務を担当したことです。個人のお客さまに対して住宅ローンや資産運用を提案するなど、個人のお客さまを担当することはこれまでと変わりませんが、渉外担当になると主体的にお客さまとアポイントを取るなど、能動的に活動することができます。住宅ローンについては、地元の不動産会社や大手ハウスメーカーの担当者と信頼関係を築いていくことで、住宅の購入を検討されるお客さまを紹介していただくことができます。信頼関係を構築し続けることで、人脈が広がっていき、お客さまとの接点を多く持てることが私のやりがいになりました。

また、資産運用については、退職金などのお振り込みがきっかけでお取引がスタートすることもあります。特に印象に残っているのは、早期退職をされたお客さまです。ご提案の中でも、金融に関することばかりでなく、家族や趣味を含むさまざまなお話ができるまで信頼関係を構築することができました。お客さまが一生懸命に働いて受け取った退職金についてのご提案であり、お客さまのお考えをしっかりとお聞きし、お客さまにとって価値ある情報の提供を継続しました。そうしたご提案がお客さまのお考えと合致し、お申し込みを頂くことができました。その際に「最終的には北川さんだから信頼してお願いしたいと思えた」という感謝の言葉を頂きました。お客さまから「あなただから」という言葉を頂ける瞬間が何よりもうれしいです。

北川さんの入社後のキャリアグラフ

これまでご紹介した北川さんの社会人1年目からのキャリア、現在に至るまでのプライベートにおける「心の充実度」の変化を、ご自身にグラフにしていただきました。

前_235_キャリアグラフ02

いずれ法人営業にチャレンジしたいという思いがあり、4年目に、業務幅が限定された「特定総合職コース」から、転居を伴う異動のある「総合職コース」に転換した(北川さんは、入行当時、特定総合職コースだった。4年目になると全社員がコースを選択できる)。

後編では、産休・育休を経た現在の働き方について話をうかがいます。

→次回へ続く

(後編 4 月13日更新予定)

取材・文/田中瑠子 撮影/岡村大輔

株式会社千葉銀行 北川さん(入社13年目・渉外担当)|後編【先輩たちのワーク&ライフ】

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今回の取材先 株式会社千葉銀行
持続的な成長が期待される千葉県を主な地盤とした、地域の総合金融サービスグループ「ちばぎん」。顧客ニーズにスピーディーに対応する質の高い金融サービスの提供により、千葉県の発展に貢献しています。
きたがわ・ゆきこ●千葉県出身。33歳。お茶の水女子大学文教育学部人間社会科学科卒業。2006年入行。現在、夫と7歳の長男、4歳の次男と4人暮らし。

2度の産休・育休を取得し、現在は渉外業務(法人)を担当している北川さん。現在の仕事観や業務内容について話をうかがいました。

助け合う職場の風土に支えられている

-入行6年目、9年目に産休・育休を取得。ライフイベントを経て、仕事観に変化はありましたか。

職場を離れたことであらためて、「仕事が好きだな」と実感しました。そして、長く働いていくために、担当できる業務の幅を広げ、もっと会社に貢献できる存在になりたいと思うようになりました。そうした中で、法人のお客さまに対して、事業性資金やビジネスマッチングの提案を行う渉外業務(法人)に挑戦したいという気持ちが強くなっていきました。

1回目の産休・育休は1年間、2回目は10カ月間お休みを頂きましたが、休業中も通信講座などを利用して、仕事から離れすぎてしまわないよう心がけていました。また、業務上の大きな変更があった際には、リモートでキャッチアップできるような仕組みがあり、ブランクをさほど感じずに復帰することができました。育児休業中も所属店へ定期的に顔を出していたので、復帰する際はスムーズに職場に溶け込むことができました。

また、千葉銀行には「誰でもできる仕事はみんなでやろう」という助け合いの意識が強く根付いています。以前、子どもが熱を出してしまい帰らなければならなくなってしまった際にも、上司や同僚がサポートしてくださり、業務に支障が出ることはありませんでした。また、産休・育休制度のほかに、子どもの看護や両親の介護のための休暇制度などもあるほか、保育園延長料金やベビーシッター代の補助制度があったりと、福利厚生も充実していると感じます。

事業成長に貢献できる、そんな仕事を増やしていきたい

-現在の仕事内容について教えてください。

2回目の産休・育休から復帰した後、約1年間は事業性融資に関する稟議(りんぎ)書類の作成などを担当しました。そうした経験の中で法人向けのご融資や金融サービスについての基礎知識を身につけることができました。現在は渉外担当(法人)として、主に中堅・中小企業や個人事業主のお客さまを担当し、事業性資金やさまざまな金融商品のご提案、ビジネスマッチングの情報提供などを行っています。

すでに千葉銀行とのお取引があるお客さまに対して、事業の拡大に向けたさまざまなご提案をしながら、新たなお客さまを開拓すべく、新規の取引先への訪問も積極的に行っています。数ある銀行の中で、「選ばれる担当者」であり続けるためには何が必要なのか、知恵を絞る毎日です。

-渉外業務(法人)の面白さを感じるのは、どんなときでしょうか。

お客さまからの信頼が得られ、新たなお取引が広がる瞬間です。これまでお取引のなかった法人のお客さまへのご融資がきっかけとなり、社長個人の資産運用や従業員の方の住宅ローンに至るまでご提案が広がったこともありました。お金を借りることや金融商品を購入することはどこの金融機関でも可能です。そうした差別化が図りにくい金融業界の中で、どのような価値あるサービスを提供していけば、お客さまから選んでいただけるのか日々考えています。常にお客さまのニーズを先回りしてご提案につなげることで、「北川さんなら、価値ある情報を提供してくれる」と思っていただくことが大切です。そうした信頼関係を構築できたお客さまから「北川さんに頼んで良かった」と言っていただけることが、毎日のモチベーションになっています。
渉外担当(法人)としての経験はまだ浅いので、しっかりと経験を積んでいき、「お客さまの成長に貢献できた」と自信を持って言えるような担当者に成長したいです。

2017年1月、家族で近所の温水プールへ。息子2人のエネルギーを発散させるため、休日は一緒に思いっきり体を動かす。

ある一日のスケジュール


夫の両親が、自宅から近い距離に住んでいるため、仕事が忙しいときは全面的にサポートをお願いしている。平日の家事は「完璧にできなくても仕方ない」とある程度開き直り、ストレスをためないことが大切だという。

取材・文/田中瑠子 撮影/岡村大輔

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